Date: 5月 17th, 2019
Cate: High Resolution
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MQAのこと、resoundingのこと

九年前、「音を表現するということ(その3)」で、
“RESOUNDING” ということばを、再生側の立場で、解きほぐしていいかえるならば、
“remodeling(リモデリング)”と”rerendering(リレンダリング)” になり、
RESOUNDING = remodeling + rerendering というより、
RESOUNDING = remodeling × rerendering という感じだ、と書いた。

「音を表現するということ」という別項で、
音のモデリング、レンダリングについて書いた。
さらに「re:code」でも、このことについて触れている。

モデリング、レンダリングにreをつけての、リモデリング、リレンダリングである。
録音されたものをオーディオを介して鳴らすという行為は、
私はこう考えている。

もちろん違う考え方、真逆の考え方をする人もいるわけで、
そういう人たちが、絶対に認めなくないのがMQAなのだろうか。

音を表現するということ(その5)」で書いたことをもう一度書いておこう。

CDよりも、DVD-Audio、SACDのデータ量は多い。
パッケージメディアから配信へと移行していくことは、パッケージメディアの規格から解放されることでもあり、
受けて側の処理能力が高ければ、データ量はますます増えていくはずだ。

だが、どんなにデータ量が、CDとは比較にならないほど大きなものになったとしても、
どこまでいっても、それは近似値、相似形のデータでしかない。

マイクロフォンが変換した信号を100%あますところなく完全に記録できたとしても、
マイクロフォンが100%の変換を行っているわけではないし、
マイクロフォンが振動板が捉えた音を100%電気信号に変換したとしても、
そこで奏でられている音楽を100%捉えているわけではない。

それぞれどこかに取零しが存在する。

なにか画期的な収録・録音方法が発明されないかぎり、
どんな形であれ、聴き手であるわれわれの元に届くのは、近似・相似形のデータだ。
だからこそ、その相似形・近似値のデータを元にしたリモデリング、リレンダリングが、
聴き手側に要求され、必要とされる。

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