オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その8)
測定データは、どこまでいっても解説だ、と私は考えている。
つまり測定データが解釈になることはない、とも考えているわけだ。
オーディオ評論とは解説ではなく、解釈のはずだ、本来は。
ところが現実には解説どまりの、名ばかりのオーディオ評論が多い。
解説はオーディオ評論家の仕事ではないのか、と問われれば、
仕事の一つではある、と答える。
技術は進歩している。
新しい素材や素子が登場してくる。
回路もそうだ。
メーカーは、今回の新技術は……、と謳ってくる。
それは、いったいどういう新技術なのか、新素材なのか、
また、メーカーの謳い文句ははどの程度事実なのかどうか、
それを解説するのもオーディオ評論家の仕事の一つといえば、そうだ。
けれどオーディオ評論家のすべての人たちが解説者である必要はない、とも思っている。
解説者は別にいたほうがいい。
ここで名前を出すべきか迷うところだが、
無線と実験を中心に執筆されている柴崎功氏のことを、
私はオーディオ解説者として捉えている。
私が無線と実験を読み始めた1977年ごろから、
柴崎功氏はメーカーの技術者から、カタログに載っていないことを聞き出しては、
記事を書かれていた。
よくここまで調べられているな、と感心するだけでなく、勉強にもなった。
生意気なことをいうようだけれど、中学生のころから、
柴崎功氏の音の評価については、まったく関心がなかった。
そのころはあまりオーディオ評論家的活動はあまりされていなかった、と記憶している。
いまは無線と実験ではオーディオ評論家の一人である。
無線と実験の巻頭カラーは新製品紹介のページである。
技術解説のページがあり、二人の筆者による試聴記がある。
技術解説のところを、私はすべて柴崎功氏が担当してくれれば、と思う。
現実にはそうはいかなくて、他の方も担当されている。