Date: 3月 7th, 2011
Cate: 朦朧体
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ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その37)

カザルスのベートーヴェンの交響曲を知ったことが、
ロジャースのPM510に、スレッショルドの800Aを組み合わせようとしていたことを、思い起こさせた。

やはりどこかで鳴ってくる音に「凄み、凄さ」を求めている。
そのためには、十分な音の強さが必要となってくる。

PM510の音色、音の表情は、どんなアンプをもってこようとも、凄みを感じさせるようにはなってくれない、
と思ってしまった。
いまでは、出しにくい、とは思うものの、出ない、とは思ってはいないが、当時、まだハタチそこそこだった私は、
愚かにも、そう思ってしまい、PM510を手ばなした。

次にやってきたシーメンスのコアキシャルは、古いタイプのスピーカーユニットである。
これを90cm×180cmの平面バッフルにとりつけて、6畳足らずの狭い部屋に、文字通り押し込んだ。

コアキシャルの周波数レンジはPM510よりも狭い。
6畳間における平面バッフルとしては、限界に近い大きさのものにとりつけても、
低域は決して伸びていないし、高域に関しても一時代前のスピーカーという程度であった。
ただ能率は高い。
そして、コアキシャルがうち出してくるリズムに、PM510、というよりも、
BBCモニター系のスピーカーシステムにはない強さがあって、しかも硬質である。

カザルスのベートーヴェンが、こちらに迫ってくる、というよりも、なにかをつきつけてくる。

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