BRITTEN conducts MOZART Symphonies 25 & 29
CDも、登場後数年したころから廉価盤があらわれた。
クラシックでいえば、初CD化が廉価盤というのもけっこうある。
ベンジャミン・ブリテン指揮のもーつLとの交響曲との出逢いは、
そんな廉価盤によってだった。
いかにも廉価盤といったジャケット、
少なくともジャケットだけでは買う気になれない、そういう感じのものだった。
けれどブリテン指揮のモーツァルトか、
こんなに安いのか、ということで、手を伸ばした。
廉価盤だからといって、そこに納められている音楽までがそうであるわけがない。
そんなことは承知とはいえ、
ここまで廉価盤的なCDだと、こちらの態度も緩んでしまう。
それでも鳴ってきた音は、すぐにそんな緩んだ、こちらの態度を引き締める。
実を言うと、ブリテンの演奏(指揮)を聴いたのは、これが最初だった。
名盤の誉れ高いカーゾンとのモーツァルトのピアノ協奏曲は、聴いていなかった。
聴いていなかった理由は、以前書いていることのくり返しになるが、五味先生の影響によるものだ。
五味先生の「わがタンノイの歴史」にこうある。
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この応接間で聴いた Decola の、カーゾンの弾く『皇帝』のピアノの音の美しさを忘れないだろう。カーゾンごときはピアニストとしてしょせんは二流とわたくしは思っていたが、この音色できけるなら演奏なぞどうでもいいと思ったくらいである。
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なので、カーゾンとのピアノ協奏曲は、交響曲よりも早くにCD化されていたが、
手を伸ばすことはなかった。
けれど、カーゾンとのピアノ協奏曲を早くに聴かなかったことを後悔はしなかった。
むしろブリテン指揮のモーツァルトの交響曲を先に(最初に)聴いてよかった、とさえいまは思っている。
だから五味先生には感謝している。
ブリテンのモーツァルトの交響曲は美しい。
廉価盤のCDで聴いても、これだけ美しいのであれば、LPで聴けば……、と考える。
そのころLPを探した。
イギリスのレコード店から定期的に中古盤のリストを送ってもらい、
こまめにチェックしていた時期もある。
結局、見つけられなかったか、LPの入手はあきらめた。
それでも、もっと美しい音なのではないのか、というおもいが消えたわけではなかった。
SACDが出ないのか、と思いつづけていた。
ブリテンのモーツァルトのSACDが、まさかステレオサウンドから発売になるとは思っていなかった。
1月にすでに発売になっていたことを知ったのは、2月も終ろうとしていたころだった。
今回発売になったのは25番と29番である。
私は40番も聴きたい。
ステレオサウンドの、このブリテンのSACDが売れれば第二弾として、40番も発売になるかもしれない──、
そんな期待から、これを書いている。