Date: 9月 8th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC
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メリディアン ULTRA DACを聴いた(その6)

グラシェラ・スサーナは、中学二年のころから聴いている。
グラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いてきたのは、
そのころの私にとって、情景が浮んでくる、唯一人の歌い手だったからである。

日本語の歌なら、日本人の歌い手ではないか、という意見がある。
グラシェラ・スサーナの日本語は完璧といえないところがあるのはわかっている。

うまい日本人の歌い手がいるのはわかっている。
それでも、中学二年のころまで、その歌を聴いて情景が浮ぶということはまったくなかった。
グラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いて、初めて、その歌で歌われている情景が浮んだ。

だから夢中になって聴いてきた。
なにも立派なシステムで聴いていたわけではない。
ラジカセで聴いていた。

メリディアンのULTRA DACでのグラシェラ・スサーナの情景は、
ふたつの意味をもつ。

shortでの音は、まさに録音している、その場の情景が浮ぶ。
ULTRA DACのフィルターをmedium、longにすると、
録音の場に居合わせたかのような雰囲気は薄れるが、
今度は、中学のころに浮んだ情景があらわれる。

他の人がどうなのかはわからない。
少なくとも私には、ULTRA DACのフィルターの違いは、
グラシェラ・スサーナの歌においては、そう聴こえた。

medium、longにすると、グラシェラ・スサーナが歌っている歌が表現している情景が浮ぶ。
これも私がグラシェラ・スサーナの歌に求めている、大事なところであるし、
大切にしているところである。

その意味で、私にとってULTRA DACは、「情景」を表現してくれるD/Aコンバーターである。

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