「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その9)
このことはavcat氏だけではなく、
ハイエンドオーディオを標榜している人たちの中にも感じていることなのだが、
どうも「毒」というものに対して、強い拒絶反応があるのではないか。
このことは若いから、とか、聴く音楽のジャンルに関係している、とか、
そんなこととはほほ無関係に、「毒」を強く拒絶する人がいるし、
増えて来つつあるように感じてもいる。
そういう音の追求もある。
毒をもたない音は、薬にもならない。
そんなふうに考える人(私を含めて)も、当然いる。
「毒」こそが音の美へと転換できる、
それこそが再生音楽(オーディオ)だ、と考えているからだ。
(その7)でリンクした木谷美咲氏の『日本の独自文化「盆栽」と「緊縛」の密接な関係』、
ここで私が興味深いと感じたのは、園芸と盆栽について以上に、
盆栽と緊縛について触れられているところだ。
『日本の独自文化「盆栽」と「緊縛」の密接な関係』を知る数週間前、
電車の中で、小学生二人の会話が聞こえてきた。
マンガの話のようだった。
そのマンガ(タイトルまではわからなかった)には、ヒーローが登場するようなのだが、
いわゆるヒーローものではなく、Hとエロだからこそのヒーローらしい。
ヒーローはheroである。
heroはHとero(エロ)に分けられる。
どうも、これにひっかけての、ちょっと風変わりなヒーローもののマンガのようである。
エッチな人、という、このエッチは変態のローマ字書き(hentai)の頭文字をとったもの。
そこにエロが加わったのがヒーローとするという視点は、少なくとも私は、今回初めて知った。
これだけだったら他愛ないことで終っていただろうが、
『日本の独自文化「盆栽」と「緊縛」の密接な関係』がそれに続いたし、
その前にはavcat氏へのステレオサウンドの染谷一編集長の謝罪の件もあったから、
印象に残ることになった。