Date: 7月 30th, 2018
Cate: 戻っていく感覚
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好きな音、好きだった音(あえて書いておく)

(その8)で引用した黒田先生の表現。
25号に載っていることを見つけ、書き写してみれば、
ほぼ正確に記憶していたことも確認できた。

ならば25号を見つけ出さなくとも書けたのではないか。
書けた。

書けたけれど、黒田先生の書かれたものという記憶がこちらにある以上、
それに手元にステレオサウンドのバックナンバーがある以上、
やっぱり正確に引用しておきたい。

それに黒田先生の文章ということを黙ったまま、
さも自分で考えたかのように、少しだけ変えて書くのは絶対にやりたくない。

オーディオ雑誌には、そういう例がけっこうある。
書いている本人は、自分で思いついたと思っているだけなのだろうが、
パクリといわれてもしかたない、という表現もある。

ほんとうに知らないのか、それとも過去に読んだことを忘れてしまっているのか、
そのへんは定かではない。本人にしてもそうなのかもしれない。

こんなことをあえて書いているのは、ステレオサウンド 207号でも、
気になるところがあったからだ。

傅信幸氏のタンノイのKensington/GRの試聴記に、タンノイ劇場、とある。
これが、菅野先生が以前よく使われていたウェストミンスターホールと、
私の中では、どうしてもかぶってくる。

念のため書いておくが、ウェストミンスター劇場のウェストミンスターとは、
タンノイのスピーカーのことである。

ウェストミンスターホールを、菅野先生が使われていたのは、それほど昔のことではない。
傅信幸氏が読んでいないわけがないし、読んだことを忘れていないはずだ。
忘れていた可能性をまったく否定するわけではない。

仮に忘れてしまっていての、今回のタンノイ劇場なのかもしれない。
だとしても、ステレオサウンド編集部の人たちは、何も思わなかったのか、
何も感じなかったのか、何も思い出さなかったのか。

菅野先生のウェストミンスターホールと傅信幸氏のタンノイ劇場。
何の問題もないとする人がいるのはわかっている。
そんなこと、わざわざ書くことか、と言われるであろうこともわかっている。

それでも、何かひっかかるものを感じている。
私だけなのか。

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