好きな音、好きだった音(その8)
その黒田先生が書かれていた表現を、正確に思い出せずにいた。
その黒田先生の表現は、別項「スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ」にも関係してくる。
気合いいれて一冊一冊、一ページ一ページ開いていけば必ず見つかるのだが、
そうそういつも気合いがみなぎっているわけではない。
結局、自分で見つけるしかないわけで、重い腰をあげる。
ステレオサウンド 25号(1972年12月発売)に、それはあった。
音楽欄のところにあった。
グレン・グールドのモーツァルトピアノソナタ集についての文章だった。
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今は、ちがう。誰よりも正しくこの演奏をうけとめているなどとはいわぬが、ぼくは今、この演奏に夢中だ。たとえばイ短調のアレグロは、どうにでもなれとでもいいたげなスピードでひきながら、いいたいことをすべていいつくし、しなければならないことはなにひとつしのこしていない。狂気をよそおった尋常ならざる冷静さというべきか──いや、そのいい方、少し悪意がある、こういいなおそう──狂気と見まごうばかりの尋常ならざる冷静さ、と。
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《狂気と見まごうばかりの尋常ならざる冷静さ》
これを思い出そうとしていた。
だからこそ、あの時代の音は、あれほどスリリングだったのか。