好きな音、好きだった音(その7)
BBCモニターの音が、10代のころ好きだった。
ハタチをすぎても好きだった。
けれど、そのころからBBCモニターはLS5/9以降登場しなくなった。
そこから少し離れてしまって、ずいぶん経った。
いまでもBBCモニターの音を求めているところがあるのを自覚している。
けれど10代のころ、BBCモニターの音だけではなかった。
JBLの4343、さらには4350A、マークレビンソンのLNP2、ML6、ML2、
これらの組合せが聴かせる音も好きな音だった。
以前、別項で少し触れたが、この時代の音は、狂気を感じさせていた、
古くからの友人(私よりも少し年上で10代のころからのオーディオマニア)も、
同じことを感じていた、といっている。
狂気といえば狂気なのだが、
たとえば同時代の録音で思い浮ぶアバドとポリーニのバルトークのピアノ協奏曲。
この演奏がぬるく感じられたら、その再生装置はどこかおかしい、とまで言い切れる。
絶対にぬるい演奏ではないけれど、
聴き手に対してどうだ、といわんばかりの熱演とも感じない。
尋常ならざる演奏である。
だから狂気ということばをつい使いたくなる。
けれど、狂気のひとことだけではないものも感じる。
アバドとポリーニのバルトークだけに、そういうことを感じるのではなく、
1970年代後半、私にとって聴くものすべてが新しかった時代の音も、
狂気のひとことだけでは、決定的になにかが足りないのだ。
4343はスタジオモニターである。
モニタースピーカーとしての性格上、そこには冷静さがある、ともいえる。
BBCモニターの、そういえばモニタースピーカーである。
LNP2が登場したころ、冷たい音という評価もあった、ときいている。
そう狂気と冷静。このふたつで語る必要があるのではないか。
そのことに気づいてから、ステレオサウンドのバックナンバーを開いていた。
黒田先生が、そんなふうなことを書かれていた、という記憶があったからだ。