Date: 7月 30th, 2018
Cate: 「ネットワーク」
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オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その14)

モニター器の評価を巡る個人ブロガーとメーカーのあいだでの意見の対立は、
それほど大事にならずに収束したようだが、
場合によってはメーカー側が、もっと強気にでることだって十分考えられる。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(試聴における再現性の重要性)』と同じになるかもしれない。

メーカー側の人たちが、
個人のリスニングルームに来る可能性がまったくない、と言い切れるだろうか。
よほどのことがないかぎり、そんなことはありえないだろう。

それでもモニターしたオーディオマニアの言動が、
モニター機を貸し出したメーカー側からすれば、限度を超えていれば、
そういう可能性だって、これからは出てこよう。

そこで問題になるというか、オーディオマニアに絶対的に求められるのが、
再現性である。
くり返しになるから、簡単に書いておくが、実験の再現性である。

モニター機を聴いたときと同じ状況を再現できなければ、
メーカー側の人たちを納得させられるわけがない。

前回、聴いた時はこんな音ではなかった、
ほんとうにブログに書いた通りの音がしていた、と口で説明したところで、
そこには説得力はまったくない。

そういう評価に至った音をきちんと再現して、メーカー側の人に聴いてもらう。
そんなこと簡単だよ、と思っているような人は、やらないようが賢明だ。

この再現性の難しさをわかっている人ならば、モニター機の評価をやるのもいいだろう。
そして、どの程度の再現性なのか、それがその人のその時点での実力であり、
その実力の範囲内での評価に留めておくべきだ。

モニター機を借りて、試聴してその感想をメーカー側だけに伝えるのと、
インターネットで不特定多数の人に向けて公開するのとでは、
まるで違うということをわかっておく必要がある。

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