「芋粥」再読(その2)
以前のCDボックスは10枚組くらいだったのが、
いつのころからか、全集の名の元に50枚くらいは当り前になってきて、
80枚、それ以上の枚数のボックスも珍しくなくなってきている。
価格もそう高くはない。
一枚当りの価格は、そうとうに安くなっている。
CDボックスの多くはいわゆる再発にあたるわけだから、
安くなるのはわかるし、買う側にしてもありがたいことである。
あまりにも安いと、なんだか申しわけなく感じたりもするが、
それでも安価なのを否定はしない。
だからCDボックスが溜ってくる。
好きな演奏家のCDボックスであっても、一気にすべてのCDを聴いてしまえる人は、
どのくらいいるのだろうか。
50枚組のCDボックスを購入したとして、一日一枚ずつ聴いても二ヵ月近くかかる。
その二ヵ月間に、他のCDを一枚も購入しないということは、まずない。
しかも、その間に、別のCDボックスを購入してたりもする。
クラシックの場合、そのくらいCDボックスが次々に登場してくる。
だから未聴のCDボックスが溜ってくる。
CDボックスを、そんなふうに次々と買ってしまうのは、
ある年代よりも上であろう。
40代ならば、平均寿命まで生きられるとしたら、まだまだ残り時間はある。
50代ならば、そう長くはない、といえよう。
安岡章太郎氏の「ビデオの時代」に書かれているように《余生を娯しむには十二分のものがある》。
そんなことはみなわかっている。
なのに、CDボックスが出ると、つい購入ボタンをクリックしてしまう──、
クラシック好きの多くはそうだろう、と思っている。
CDボックスはインターネットで購入、
届くのを待つだけの人が多いはずだ。
レコード店で購入し、重い思いをして持って帰れば、
購入も少し控えるのかもしれないが、いまの時代はそうではない。