野上眞宏 写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」(その7)
野上さんの写真について解説したり、評論しようという気はない。
それができるとも思っていない。
野上さんの写真を見て、何を感じたか、を言葉にするつもりもない。
5月18日の、白のテスタロッサは、何かを象徴しているような気がしてならないから、
こうやって書いている、ともいえる。
野上さんは写真家だ。
誰かに紹介するとき、「写真家の野上さん」といっている。
オーディオ評論家を、
オーディオ評論家(職能家)、オーディオ評論家(商売屋)というように、
写真を撮って仕事としている人すべてを、写真家と呼ぶことは抵抗がある。
写真家という言葉がすっと出てくる人、
そうではなくて、カメラマンとか、ときに写真を撮っている人といいたくなる人もいる。
「BLUE:Tokyo 1968-1972」には、さまざまな人が訪れているのを、
facebookで知っている。
そのfacebookで公開されている写真を見ていて考えていたのは、
純粋と純情について、であった。
純粋な写真家、純情な写真家、
写真家としての純粋さ、写真家としての純情さ──、
そんなことを考えているところだ。