野上眞宏 写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」(その6)
赤のテスタロッサは、あのころよく見かけた。
見かけるたびに「おっ、テスタロッサだ!」と思っていた。
1990年代も終り近くになると、それほどみかけなくなったような気がする。
見かけなくなるとともに、たまに見かけても「おっ、テスタロッサだ!」と思わなくなっていた。
なんだろう、以前感じていたテスタロッサの輝きみたいなものが、
感じられなくなっていたからなのか。
製造されなくなって、それだけの時間が経てば、大切に乗られていても新車ではなくなる。
くたびれている感じのするテスタロッサも、何度か見かけた。
くたびれているからだけでもなかった。
ある時から、もう古いのかも……、とそのデザインを感じることもあった。
だから「おっ、テスタロッサだ!」だと思わなくなっていったのかもしれない。
5月18日の夜、目に飛び込んできた白のテスタロッサは、そうではなかった。
以前のように輝いていた、というより、
以前よりも輝いているように感じた。
製造されて何十年経っても、新車のような状態を維持しているクルマ(個体)を、
サバイバーと呼ぶ、らしい。
5月18日の白のテスタロッサは、まさにサバイバーなのだろう。
不思議なもので、もう古いのかも……、と感じていたデザインも、
カッコよく感じられる。
なんなんだろうなぁ……、と自分でも思っていた。
これが白のテスタロッサではなく、
他の色だったら、たとえば赤のテスタロッサが、新車同然でそこにいたとしても、
ここまで印象深く心に残っただろうか。
仮に残ったとしても、ここで書いたりはしなかったはずだ。
脈絡のないことを書いている、と自覚しながらも、
あの日の白のテスタロッサは、あの日の野上さんのモノクロの写真と無関係ではなかった、と感じている。