評論家は何も生み出さないのか(余談)
オーディオ評論というテーマで、150本以上書いてきている。
書きながら、思い出したことがある。
(じろん)である。
小学生のころだった、初めて(じろん)という言葉を聞いた時、自論だ、と思った。
幸い、作文などで(じろん)を使うことはなかったから、間違いはバレなかった。
中学生になって、持論なんだ、と知った。
(じせつ)には、自説と持説がある。
けれど(じろん)には、持論だけで、自論はない。
オーディオ評論について考えることは、評論について考えることでもある。
評論には「論」がついている。
自論ではなく、持論の「論」がついている。