Date: 8月 31st, 2017
Cate: 価値・付加価値
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「趣向を凝らす」の勘違い(その1)

何らかの趣向を凝らさないと聴き手にアピールできない世の中になったのか、と思うのは、
facebookのタイムラインに表示されるクラシックの演奏会の動画を見ていた時だった。

いくつかのレコード会社をフォローしていると、
そのレコード会社がアピールしたい演奏家の動画が流れることがある。

そうやってなんとなく目に入ってきた演奏会の動画、
そこに映っていたのは肌の露出の多い衣装でのピアノ演奏だった。

肌の露出が多いのが下品といいたいのではなく、その衣装がまたひどかった。
こんな衣装(もうそう呼べない)で演奏するのか。

これが趣向を凝らすということではないだろうに……、と思いながらも、
音をあえて流さずに眺めていると、滑稽でしかなかった。

趣向を凝らす、とはこういうことではないけれど、
こういうことが趣向を凝らすことだというふうになりつつあるのは、
なにもクラシックの演奏会におけることだけでなく、
オーディオ機器においても、
どこかズレたところで趣向を凝らすことが行われているとも感じることが出てきている。

特にそれを強く感じるのは、ヘッドフォン、イヤフォンの世界である。
どう考えても納得のいかないことを持て囃す風潮がある。
それにのっかるメーカーが少なからずある。

物分りのいい人(ぶっている)は、それが差別化だよ、というのだろう、
もしくは、ここでも付加価値なんだよ、というのか。

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