老いとオーディオ(齢を実感するとき・その2)
ポリーニのバッハの平均律クラヴィーアが出たのは、七年前のこと。
ポリーニのバッハは聴いたことがなかった。
聴いたことのある人は、七年前、どのくらいいたのだろうか。
ポリーニが、やっとバッハを弾く。
それだけで聴いてみたいと思った。
でもなぜか買いそびれてそのままだった。
12月も終り近くになって、聴く機会があった。
これがポリーニのバッハか、と思ったのはわずかのあいだだった。
聴き進むうちに気づく。
音が濁っている、と感じたのだった。
こう書いてしまうと、誤解されるのはわかっている。
ポリーニのピアノの音が濁っているわけがないじゃないか、といわれるはずだ。
技巧的に音が濁っている、と感じたのではなかった。
違う意味での、音が濁っているだったのだ。
だから聴いているうちにいらいらし始めている自分に気づく。
怒りに近いものまで感じていた。
そして思い出した。
五味先生がポリーニが弾くベートーヴェンに激怒された、と書かれていたことを。
こういうことだったのか、とひとり得心がいった。
五味先生が激怒された理由と、私が怒りを感じてきた理由が同じという保証はどこにもない。
まったく違っているかもしれない。
そう頭ではわかっていても、そう得心したとしか書きようがない。