Date: 10月 27th, 2016
Cate: 五味康祐
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五味康祐氏とワグナー(その5)

けっこう記憶は確かな方だと思っているが、
どうしても正確に思い出せないこともある。

20代前半のころだったと思う。
そのころ、ヴェルディとワグナー比較論のような内容の本が出ていた。
書名は「ワーグナーの負けだ」、ワグナー好きには挑発的なものだった。
ただし書名も正確ではない。そんな感じだった、というだけだ。

書名だけではない、誰が書いたのかも、もう憶えていない。
内容もほとんど憶いだせずにいる。

ひとつはっきりしているのは、途中で読むのをやめてしまったことだけである。
いま読んでみたら印象は変ってくるかもしれない。
手元にその本はもうないし、
インターネットであれこれ検索してみても該当する本がみつからない。

イタリア・オペラといっても、
プッチーニとワグナーを比較しているわけではなく、ヴェルディである。

ヴェルディとワグナーは1813年に生れている。
偶然にすぎないのだろうが、偶然とは思えない。

ヴェルディのことについて、五味先生が書かれているのは「音楽に在る死」においてである。
それは、こんな書き出しで始まる。
     *
 私小説のどうにもいい気で、我慢のならぬ点は、作者(作中の主人公)は絶対、死ぬことがない所にある。如何に生き難さを綴ろうと、悲惨な身辺を愬えようと「私」は間違っても死ぬ気遣いはない。生きている、だから「書く」という操作を為せる。通常の物語では、主人公は実人生に於けると同様、いつ、何ものか——運命ともいうべきもの——の手で死なされるか知れない。生死は測り難い。まあいかなる危機に置かれても死ぬ気づかいのないのは007とチャンバラ小説のヒーローと、「私」くらいなものである。その辺がいい気すぎ、阿房らしくて私小説など読む気になれぬ時期が私にはあった。
 非常の事態に遭遇すれば、人は言葉を失う。どんな天性の作家も言葉が見当らなくて物の書ける道理はない。書くのは、非常事態の衝撃から醒めて後、衝撃を跡づける解説か自己弁明のたぐいである。我が国ではどういうものか、大方の私小説を純文学と称する。借金をどうしたの、飲み屋の女とどうだった、女房子供がこう言った等と臆面もなく書き綴っても、それは作者の実人生だから、つまり絵空事の作り話ではないから何か尊ぶべきものという暗黙の了解が、事前に、読み手と作者の間にあるらしい。ばからしいリアリズムだ。勿論、スパイ小説にあっても主人公はいかなるピンチからも脱出するに相違ない。ヒーローが敵国の諜報団にあっ気なく殺されるのではストーリーは成立しない。この、必ず生きぬけるという前提が、読者を安心させているなら、救われているのはヒーローではなくて作者である。救われたそんな作者の筆になるものだから、読む方も安心していられる。つまり死ぬ気遣いのないのが実は救いになっていて、似た救いは私小説にもあるわけだろう。どれほど「私」が生きるため悪戦苦闘しようと、とにかく彼はくたばることがないのだから。
 でも、実人生では時にわれわれはくたばってしまうのである。意図半ばで。これは悲惨だ。小説は勿論、非常の事態に遭遇した人間の悲惨さを描かねばならぬわけではない。しかし兎も角、私小説で「私」がぬけぬけ救われているというこの前提が、いい気すぎて、私小説を書く作者の厚かましさに我慢のなりかねた時が、私にはあった。太宰治は、徹頭徹尾、私事を書いた作家だと私は見ている。太宰は私小説の「私」は金輪際くたばらぬという暗黙の了解に、我から我慢なりかねて自殺したと。ざまあみろ、太宰は自分自身にそう言って死んだのだと。
 これは無論、私だけの勝手な太宰治観である。私小説のすべてが「私」をぬけぬけ生きのびさせているわけではない。『マルテ・ラウリッズ・ブリッゲの手記』はどんな死を描いた文章より私には怖ろしい。リルケが私小説作家でないのは分っているが、古いことばながら、作家精神といったものを考えた時、凡百の私小説作家の純文学など阿房らしくて読めなかった。そういう時期に、音楽を私は聴き耽った。
     *
そしてブラームスについて書かれている。
門馬直美氏の文章を書き写しながら、綴られている。

長めの引用である。
引用の最後には、こう書かれている。
《ブラームスのことならまだ幾らだって私は引用したい。門馬氏の好い文章を写したい──》と。

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