モノと「モノ」(その1)
プログラムソースは、モノーラルからステレオになってきた。
モノーラルは、モノ、と略すこともある。
このブログで物のことをモノ、と書いてきた。
モノ(モノーラル)とモノ(物)、方や英語、方や日本語だから、
このふたつの「モノ」にはなんら関係性はない、ということになるけれど、
どちらも「モノ」であることは、単なる偶然とも思えない。
モノーラル(モノ)からステレオ録音へとなり、
再生される音像は、いわば実像から虚像へとなっていった。
いうまでもないことだが、ここでいうモノーラル再生はスピーカー1本だけでの再生のことである。
実から虚、ということでは、いまプログラムソース(音源)がそうなりつつある。
SP、LP、CD、SACDといったパッケージメディア(モノ)から、配信へと、いま転換期を迎えている。
もうこれから先、プログラムソースを手にすることは、徐々に、か、もしくは急激に、か、
とにかく少なくなっていくはずだ。
パッケージメディアを実とすれば、配信によるものは虚となろう。
ステレオ再生がつくり出す音像(虚像)を、ときとして、聴き手であるわれわれは実像と感じることもある。
プログラムソースがパッケージメディアという形を捨てたとき、
「虚」という新しいかたちを手に入れるのかもしれない。