Date: 1月 26th, 2011
Cate: 朦朧体
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ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(続々・余談)

日本では、SUMO以降のボンジョルノの消息については、パタッととだえてしまった。

なにをやっていたのか、は、やっぱりThe Goldの愛用者としてはひじょうに気になって、
関係者の方数人にきいたことがある。

ある人の話では、SUMOが日本から撤退した後も、新型のパワーアンプをつくっていた、らしい。
SUMOでだったのか、それとも新しい会社だったのかははっきりしなかったが、
ボンジョルノにとって、かなりの自信作だったそうだ。

それは音だけでなく、安定性・信頼性においても、かなりの自信作で、
とにかくこわれやすいという日本での汚名をはらうためのモノでもあったらしい。

ただボンジョルノとしては、ここで心機一転する意味もあってだろうか、輸入元を変えたかったそうで、
ある輸入商社の社長に相談をもちかけた、ということだ。

その社長いわく、
「日本において、輸入元を変えることは、むしろ良くはとられない。
私のところで扱うよりも、以前からのつきあいのある輸入元でやったほうがいい」
と説得したそうだが、ボンジョルノの情熱に押し切られて、とにかく新型のアンプを聴いてみることになった。

社長の自宅のリスニングルームで、試聴は行われたそうだ。

スピーカーは、名器といわれているモノだ。
ここで、スピーカーの型番を書いてしまうと、詳細がはっきりするのであえて書かない。

とにかく、そのスピーカーの、その社長が所有されていた極上のコンディションのものは、
もうすでに手に入れるがきわめて難しいものであったが、
ボンジョルノの自信にみちた、安定度に対する言葉を信じて、そのスピーカーにアンプは接がれた。

電源スイッチを入れた瞬間、ウーファーのコーン紙が燃えてしまった、ときいた。

だから、新型アンプの輸入の話は、ここで終ってしまう。

そのあとはというと、ボンジョルノは肝臓を壊したときいている。
それも肝臓癌だった、という話だ。
しかもボートピープルだったそうだ。

SUMOのThe Goldの出力段の回路構成は特許を取得していたが、
これも日本のクラウン・ラジオに売ってしまった、という話も、また別のところからきいた。

治療費を捻出するためだったのだろうか。

これらの話は、みな、信頼できる人からきいたものばかりだ。
だからボンジョルノの復活は、もうないな……と思っていた。

事実、ボンジョルノのことは、少なくとも日本のオーディオ界ではずっと忘れられていたといっていいだろう。

だからAmpzilla2000で、ボンジョルノが復活したときは、うれしい、という気持以上に、
やっぱり不思議な男だな、というほうが強かった。

マーク・レヴィンソンは、絶対にボンジョルノのようなことにはならないだろう。
マークレビンソンのあとにチェロ、つづいてレッドローズミュージック。
現在はいくつかの会社のコンサルタント的な仕事をこなしながら、Daniel Hertzという会社もやっている。
あと香水もつくっている。
そんなレヴィンソンは、ボンジョルノのような状況に陥りそうになっても、
うまく回避して、次のステップになんなく進んでしまう人物かもしれない。

そんな器用さ・要領のよさは、ボンジョルノには、ない、と言い切っていい。
だからこそ、ふたりのつくる、どちらのアンプに惚れるか、は人によって違う。

私も、学生時代はレヴィンソンのアンプにつよく憧れてきた。
でもいまは、ボンジョルノのアンプ(ボンジョルノの人柄をふくめて)をとる。

とはいうものの、それでも片足の小指の先っぽぐらいは、LNP2の魅力にまだ浸かったまま。

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