Date: 5月 14th, 2016
Cate: High Fidelity
Tags:

手本のような音を目指すのか(続・感服できる音こそ)

感心できる音、
感激できる音、
感動できる音、

それから感謝できる音、
感服できる音。

これを書きながら、
「音は人なり」なのだから、
そこでの、感心できる音、感激できる音、感動できる音、
さらには感謝できる音、感服できる音にしても、
その「音」は己ということであり、己自身に感心したり感激したり、できるというのか。

そんなことも、実は考えながら書いていた。

もちろん「音は人なり」であっても、聴くのは音楽であり、
音楽に感心したり、感動したり、ときには感謝したり、するのだから、
矛盾はないだろう、ともいえる。

でも、これはどこまでも消極的である。
そういうのなら、感心を損なわない音、感動を損なわない音……、
こんなふうに書かなければならない。

こんなことを考えながらも、あえて、
感心できる音、
感激できる音、
感動できる音、
感謝できる音、
感服できる音。
と書いたわけだ。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]