使いこなしのこと(調整なのか調教なのか・その4)
調教といってしまうと、
暴馬、じゃじゃ馬を力づくでおとなしくさせて訓練する、というイメージがもたれがちである。
けれど調教は、そのことひとつではない。
暴れがちな馬を強制的におとなしくさせたところで、
その馬の良さはいきてこないどころか、殺してしまうことになる。
悪さも殺させるけれども……、である。
いわゆる角を矯めて牛を殺すことになってしまう。
スピーカーに関しても、まったく同じことがいえる。
使いこなしが難しい、いわゆる暴馬的なスピーカーの使いこなしには、
大きくふたつの方法(というか方向)がある。
ひとつはいまあげた、良さも悪さも殺してしまう鳴らし方であり、
これもまた調教といえる。
もうひとつは、とにかく良さも悪さもすべて出して切ってしまう、という鳴らし方である。
長島先生がジェンセンのG610Bの使いこなしにおいてとられたのは、
いうまでもなく後者の鳴らし方(調教)である。
どちらをとるかは人によって違う。
前者を調教とイメージする人もいれば、後者こそ調教と考えている人もいる、ということだ。
長島先生と同世代、
つまりステレオサウンドの初期から関わってこられた方たちは、
後者の調教をとられてきた人たち、ともいえる。
ステレオサウンド 77号のComponents of The yearのゴールデンサウンド賞には、
ダイヤトーンのDS10000の他に、
JBLのDD55000とマッキントッシュのXRT18という対照的なモデルも選ばれている。
そのDD55000について、井上先生が次のように語られている。
*
使いこなしが難しいという話が出たけど、このスピーカーの使いこなしには、ぼくは二つの方法があると思うんです。悪さもよさも殺して鳴らすのと、とにかく鳴らし放題鳴らしてしまう方法のふたつが。ぼくは後者をとりますね。鳴らすだけ鳴らして、このスピーカーの音の世界に自分が入ってから、どうするか考える。個人のシステムだから、それでいいと思うんです。最初からいい音、というよりも聴きやすい音を出す必要はない。リファレンス機器じゃないんだから。まずこのスピーカーの音の世界の中に入って、どんな鳴り方をし、どんな素性を持っているスピーカーなのか探って、それからいろいろ苦労したほうがいい。外野にいて、調教しようとしても、鳴ってくれるスピーカーじゃありませんよ、これは。
*
この井上先生の発言にも、調教という言葉が出てくる。
調整ではなく、やはり調教が、である。