第59回audio sharing例会のお知らせ(スピーカーの変換効率とは)
12月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。
昨年7月に「自由奔放に鳴るのか」を書いた。
書き始めたばかりの別項「手本のような音を目指すのか」とも関係してくることでもある。
自由奔放に鳴る音は、手本になるような音ではないはずだ。
自由奔放に鳴る音のスピーカーが、いまの時代に現行製品として少なくなってきているように感じている。
スピーカーの性能としての物理特性が向上していくということは、そういうことなのかもしれない。
そうは思いながらも、何か違うのではないか……、とも思っている。
そういえば毎月、この例会で場所を提供してくれている喫茶茶会記のスピーカーはアルテックであり、
いまアルテックはなくなってしまった会社である。
アルテックといえば、
ステレオサウンド別冊のALTEC号の巻頭に山中先生が書かれていたことも思い出す。
こう書いてあった。
*
一つの興味深い例として、アルテックと非常によく似た構造のコンプレッシャー・ユニットを使うJBLのスピーカーシステムと比べた場合、JBLがどちらかといえばシャープで切れ味本位の、また言葉をかえれば、各ユニットを強力に束縛して自由をおさえた設計をとっているのに対し、アルテックは同じようなユニットを自由に余裕をもって働かせている印象が強い。
これが実は、アルテック・サウンドを分析するファクターで、独特のあたたかみ、そして一種の開放感を有無もとととなっている。したがってアルテックのスピーカーは、一歩使い方をあやまると、やたら百花斉放な音にもなりかねないが、しかし、この性向をうまく活かして使った場合、たとえばオーケストラなどスケールの大きなダイナミックレンジの広い音の再生を際立たせることができる。また、充実した中音域によって、人の声、合唱、そうしたメンタルな要素の覆いソースをすばらしく聴かせることも容易だ。
*
衰退していく前のアルテックは、まさに自由奔放に鳴ってくれるスピーカーの代表であった。
そのアルテックがなくなってしまった大きな理由は別のところにあるのだが、
それを承知のうえで時代の流れ(変化)ゆえ、といいたくもなる面もあるのではないだろうか。
自由奔放に鳴るスピーカーをうまく活かして使えば……、とこのごろ強く思う時がある。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。