Date: 11月 29th, 2015
Cate: 使いこなし, 瀬川冬樹
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使いこなしのこと(瀬川冬樹氏の文章より)

ステレオサウンド 17号に「コンポーネントステレオの楽しみ」という瀬川先生の文章が載っている。
「虚構世界の狩人」にもおさめられている。
そこには、こう書いてある。
     *
「われわれの言おうとする事がたとえ何であっても、それを現わすためには一つの言葉しかない。それを生かすためには、一つの動詞しかない。それを形容するためには、一つの形容詞しかない。さればわれわれはその言葉を、その動詞を、その形容詞を見つけるまでは捜さなければならない。決して困難を避けるためにいい加減なもので満足したり、たとえ巧みに行ってもごまかしたり、言葉の手品を使ってすりかえたりしてはならぬ。」
 これはフローベルの有名な言葉だが、この中の「言葉」「動詞」「形容詞」という部分を、パーツ、組み合わせ、使いこなし、とあてはめてみれば、これは立派にオーディオの本質を言い現わす言葉になる。
     *
フローベルの言葉を置き換えてみると、
「われわれの言おうとする事がたとえ何であっても、それを現わすためには一つのパーツしかない。それを生かすためには、一つの組み合わせしかない。それを形容するためには、一つの使いこなししかない。さればわれわれはそのパーツを、その組み合わせを、その使いこなしを見つけるまでは捜さなければならない。決して困難を避けるためにいい加減なもので満足したり、たとえ巧みに行ってもごまかしたり、言葉の手品を使ってすりかえたりしてはならぬ。」
となる。

「言おうとする事」は、いうまでもなく「出そうとしている音」である。

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