手本のような音を目指すのか(その1)
誰なのかはあえて書かない。
オーディオの仕事をしていた人がいた。
彼はスピーカーを買おうとしていた。
彼は気に入っているスピーカーをすでに鳴らしていた。
それでも彼はスピーカーを買おうとしていた。
つまり買い足そうとしていたのだ。
彼自身の音の好みを無視してでも、
オーディオを仕事としている以上、仕事にふさわしいスピーカーを買おうとしていたわけだ。
心がけとして立派と言えるかもしれない。
彼は何にすべきか、少し迷いがあった。
彼はある人に相談した。
相談を受けた人は、オーディオの世界の大先輩である。
彼は候補を二、三あげた。
いずれも世評の高いスピーカーであった。
どれを選んだとしても、
彼の要求に応えてくれるだけの性能の高さを持っていた。
相談を受けた人は言った。
どれも仕事の音だ、と
音楽を聴いて楽しい音のスピーカーではない、と。
七、八年前の話だ。
相談をした人も受けた人も知っている。
相談をした人から直接聞いた話だ。
なぜ彼はこんな相談をしたのか。
どんな答が返ってくるのか、おそらく彼はわかっていたはずだ。
彼自身も同じように感じていたのだと私は思っている。
私もそんなことを相談されたら同じことを答えたはず。
彼が候補としたスピーカーは、確かに優秀なモノだ。ケチをつけられるようなところは、ほとんどない。
細かな点を疎かにせずひとつひとつクリアーにしていくという開発をとっていて、それが音にも結実している。
だがそれは手本のような音だ、といえるように思っている。