Date: 10月 3rd, 2015
Cate: 「ルードウィヒ・B」
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「ルードウィヒ・B」(その6その後)

手塚治虫による「雨のコンダクター」、
つまり手塚治虫によって描かれたバーンスタインは、音楽を演る男のかっこよさをがあった。

バーンスタインは指揮者であり、作曲家でもあり、またピアニストでもある。
音楽家として才能に恵まれ、自信に満ちていたかのように思われた……。

河出書房新社の「フルトヴェングラー 最大最高の指揮者」に、
作曲家・伊東乾氏による「作曲家フルトヴェングラー」についての文章がある。

バーンスタインの話から始まる。
     *
 生前のレナード・バーンスタイン(1918-1990)と初めて会ったときの事だ。たまたま学生として参加していた彼の音楽祭で、当時僕がスタッフをしていた武満徹監修の雑誌の企画で「作曲家としてのバーンスタイン」に話を聴くことになった。
 ところが、話が始まって20分位だったか、マエストロ・レニーは突然、何か感極まったような表情になってしまった。
 思いつめたような声で、半ば涙すら浮かべながら
「コープランドには第三交響曲がある。アイヴズには第四交響曲がある。でも自分には何もない」
 と訴え始めたのだ。大変に驚いた。
 反射的に彼の『ウエストサイド・ストーリー』(『シンフォニック・ダンス』)の名を挙げてみたのだが
「ああ、あんなものは……」
 と更に意気消沈してしまった。確かに「シンフォニック・ダンス」はよく知られた作品だが、実はオーケストレーションも他の人間が担当しており、ミュージカル映画の付帯音楽に過ぎないのは否めない。
「誰も僕を、作曲家としてなんか認めていない……」
「いいえ、あなたが一九八五年、原爆40年平和祈念コンサートで演奏された第三交響曲『カディッシュ』は素晴らしかっただから今、僕たちはここに来て、作曲家としてのあなたにお話を伺っているのです。
 自分の信じる通りを誠実に話して、どうにか気持ちを立て直して貰った。
     *
意外だった、驚きだった。
「自分には何もない」、
「ああ、あんなものは……」、
「誰も僕を、作曲家としてなんか認めていない……」、
こんなことがバーンスタインから語られていたとは知らなかった。

そういえばグルダが、
バーンスタインはジャズがまったくわかっていない、批判していたのは知っていたけれど、
それでも大きな驚きだ。

とはいえ、指揮者バーンスタインが残したものの聴き方が、このことを知って変るかといえば、
まったく変らないであろう。
ただ「雨のコンダクター」の読み方は、多少変るかもしれない。

バーンスタインに、こんなコンプレックスがあったことを手塚治虫が知っていたのかどうかはわからない。
手塚治虫が、そういうものを感じとっていたのかどうかもわからない。
それでも知った後と知る前とでは何かが変っていくはずだ。

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