background…(その7)
大辞林には、鑑賞のところに、こうも書いてある。
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同音語の「観照」は冷静な心で対象に向かいその本質をとらえようとすること、「観賞」は植物・魚など美しいものを見て心を楽しませることであるが、それに対して「鑑賞」は芸術作品の良さを味わうことをいう
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安部公房の「他人の顔」の主人公〈ぼく〉は、音楽のよき鑑賞者ではないかもしれないが、
少なくとも音楽の観照者として優れている、とはいえる。
冷静な心で対象(音楽)に向かいその本質をとらえようとしているからこそ、
音楽のよき利用者たりえている、といえるのではないか。
さまざまな音楽の本質を見誤っていたら、
音楽のよき利用者とはいえない。
思考を一時中断させようと思うときに思弁的なバルトークを聴いてしまうかもしれないし、
跳躍のバネを与えたいときには、バッハを聴いてしまっては、到底、音楽のよき利用者とはいえない。
「趣味はオンガクカンショウです」と答えていても、
音楽鑑賞のつもりで当人は口にしていても、
彼自身が音楽鑑賞をしているのか、音楽観照なのか、それとも音楽観賞でしかないのか、
「趣味はオンガクカンショウです」といわれた側にはどれなのかわからないし、
「趣味はオンガクカンショウです」と口にした本人でさえ、音楽鑑賞なのか音楽観照か音楽観賞なのかは、
はっきりとはわかっていない可能性だって否定できない。
こう書いている私も、ときには音楽観賞だったりすることがないとはいえない。