なぜオーディオマニアなのか、について(その5)
オーディオは音楽を聴く道具である──、
このことについてもきっちりと書いていこうと考えているが、
ここでは一応、オーディオは道具である、ということにしておく。
録音された音楽を聴くには、なんらかの再生装置(オーディオ)が最少限必要であり、
そこでのオーディオは道具ということになる。
道具を辞書でひくと、いくつかの意味があり、
ここでの道具とは、他の目的のための手段・方法として利用される物や人、ということになる。
別項「background…」でも書いているが、
音楽も場合によっては、道具となってしまう。
たとえばヒーリングミュージック。
音楽(ミュージック)の前に、何かをつけてしまうことで、
音楽は音楽そのものではなくなってしまうおそれが生じてくる。
モーツァルトの音楽が、バックグラウンドミュージックとして使われる。
ヒーリングミュージックとして使われる。
ここでのモーツァルトの音楽は、道具としての音楽となってしまう。
10年くらい前からか、もっと前からだったか、
日本酒の製造過程でモーツァルトの音楽を流していると、より美味しくなるとか、
牛にモーツァルトの音楽を聴かせると、肉が美味しくなるとか、
そういったことが騒がれたことがある。
ここでのモーツァルトの音楽もまた、道具としての音楽になっている。
モーツァルトの音楽が、ヒーリングミュージック、バックグラウンドミュージック、
何かを美味しくするために使われる場合には、
実演のモーツァルトが鳴らされることはまずない。
ほぼすべて何らかの再生装置になって、モーツァルトの音楽が流され、
バックグラウンドミュージックとして使われたり、ヒーリングミュージックとして使われたりする。
となると、この場合の再生装置、つまりオーディオは、
モーツァルトの音楽を道具としての音楽にするための道具ということになってしまう。