程々の音(その28)
タンノイ・コーネッタをいまでも欲しい気持をつねに感じながら、
この項を書いていて気づいたことがある。
毎日目にしている、
そしていまも目の前に存在感たっぷりにいるHarknessのことである。
15インチ口径のフルレンジユニットのD130と175DLHの組合せ。
バックロードホーンであっても、エンクロージュアのサイズはさほど大きくない。
ユニットの口径こそ違えど、このHarknessも、コーネッタ的スピーカーなのではないか。
そう思えてくる。
バックロードホーンという構造もあって、低域はそれほど下まで延びているわけではない。
高域に関しても175DLHだから、さほど延びていない。
つまりHarknessそのものはナロウレンジのスピーカーシステムだし、
「コンポーネントステレオの世界 ’76」巻頭のシンポジウムでは、
Harknessは古い時代のスピーカー代表として登場しているくらいである。
1975年当時で、すでに古い時代のスピーカーを、
その40年後に鳴らすということは、どういうことなのかを考えている。
このHarknessで、鳴らすアンプの組合せをうまく考えれば、
コーネッタを欲しいという気持、コーネッタで鳴らしたいと思っていた音の世界を、
同じように鳴らせるはずである──、そう思えてくる。
Harknessはコーネッタよりも能率が高い。
パワーアンプの出力を欲張らなければ、300Bシングルアンプでもいける。
これもいいな、と思えてくるのだが、
ここで(その24)で書いたことがひっかかってくる。
自分で書いたことが、なにか足枷のように感じられてくる。
ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” をもとに、
“plain sounding, high thinking”と書いた。
この“plain sounding, high thinking”がひっかかってくる。