Date: 7月 26th, 2010
Cate: High Fidelity, 五味康祐
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ハイ・フィデリティ再考(その10)

五味先生が、バイロイト音楽祭を毎年録音されていることについては、さらっとふれるだけの予定だった。
何を録音されていたのかについてふれるだけで、高城重躬氏が録音の対象とされていたものと比較しながら、
ふたりのスタンスの違いについて書くつもりでいたのだが、
なぜか、このバイロイト音楽祭のところが、ことさら重要に思えてきた。

なぜなのか、をさぐるためにも、もうすこし、この部分の引用を続けてみよう。
それでなにかがはっきりしてくるのかもしれないし、予感だけで終ってしまうのかしれない。

なぜ毎年録音されているのか。
     *
ときには自分でも一体なんのためにテープをこうして切ったり継いだりするのかと、省みることはある。どれほどいい音で収録しようと、演奏そのものはフルトヴェングラーの域をとうてい出ないことをよく私は知っている。音だけを楽しむならすでに前年分があるではないか、放送で今それを聴いてしまっているではないか、何を改めて録音するか。そんな声が耳もとで幾度もきこえた。よくわかる、お前の言う通りさと私は自分に言うが、やっぱりテープをつなぎ合わせ、《今年のバイロイトの音》を聴き直して、いろいろなことを考える。
     *
五味先生は、どんなことを考えられていたのか。
それがハイ・フィデリティを、いま再考することにふかく関わっている、そんな予感だけがある。

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