Date: 7月 27th, 2010
Cate: High Fidelity, 五味康祐
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ハイ・フィデリティ再考(その11)

エア・チェックについて、こんなことを書かれている。
     *
だから私の場合、レコードを買わずに録音をすることはまずないが、気に入ったソリストの、海外における音楽祭での演奏はできるかぎり録音し、聴きなおしている。だが、このごろはそれにもすこし倦んできた。
気にとめて放送は聴くし、なかば習慣で録音はしてみるのだが、ライブラリイに加えたく思うほどのものはしだいになくなった。二,三度聴きなおして、たいがい、消してしまう。
理由はかんたんだ。いい演奏がないのである。それに音質が気にくわない。
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そんな五味先生が、バイロイト音楽祭のものに関しては、消さずに残しておられる。
バイロイト音楽祭も、「海外における音楽祭」のひとつ、である。
なぜなのか。
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レコードを所持しないで録音する人もいるだろう。だが私の場合、すでにそれは録音してある。何年か前はロリン・マゼールの指揮で、マゼールの指揮を好きになれなんだから翌年のホルスト・シュタインに私は期待し、この新進の指揮にたいへん満足した。その同じ指揮者で、四年間、同じワグナーが演奏されたのである。心なしか、はじめのころよりはうまくはなったが清新さと、精彩はなくなったように思え、主役歌手も前のほうがよかった。
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このすこしあとに、
「なら、気に食わぬマゼールを残しておく必要があるか、なぜ消さないのか、レコード音楽を鑑賞するにはいい演奏が一つあれば充分のはずで、残すのはお前の未練か?」
とも書かれている。

「演奏そのものはフルトヴェングラーの域をとうてい出ないこと」をよく知っている人が、
バイロイト音楽祭以外の海外の音楽祭のものだと、「二、三度聴きなおして、たいがい、消してしまう」人が、
バイロイト音楽祭だけは特別で、私家版として残されているのは、なぜか。

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