ハイ・フィデリティ再考(その12)
バイロイト音楽祭で奏でられるのは、もういうまでもなくワグナーの音楽だけだ。
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ワグナーは神々の音楽を創ったのではない。そこから強引にそれ奪い取ったのだ、奪われたものはいずれは神話の中へ還って行くのをワグナーは知っていたろう。してみれば、今、私の聴いているのはワグナーという個性から出て神々のもとへ戻ってゆく音ではないか。他人から出て神に還るものを、どうしてテープに記録できるか。そんなことも考えるのだ。
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では、テープにおさまっているのは、いったいなんなのか。
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私が一本のテープに心をこめて録音したものは、バイロイト音楽祭の演奏だ。ワグナーの芸術だ。しかし同じ『ニーベルンゲンの指輪』、逐年、録音していればもはや音楽とは言えない。単なる、年度別の《記録》にすぎない。私は記録マニアではないし、バイロイト音楽祭の年度別のライブラリイを作るつもりは毛頭ない。私のほしいのはただ一巻の、市販のレコードやテープでは入手の望めぬ音色と演奏による『指輪』なのである。元来それが目的で録音を思い立った。
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だから五味先生は、自問される、なぜ録音するのか、なぜ消さないのか、残すのか、と。