聴きたいのは……
つねに私が聴きたいのはピアノの音ではなく、ピアニストだからだ。
*
これは五味先生の言葉だ。
短い、この一行は、私にとって、
オーディオ歴の最初に読んだこと──音に肉体の復活を錯覚できる──に直結する大事な一行である。
「五味オーディオ教室」の最初の章には、
再生音の肉体の介在する余地はないにも関わらず、
聴き手は「肉体の復活を錯覚できる」わけだが、
すべての再生音が「肉体の復活を錯覚できる」わけでもない。
肉体のない音が世の中には、ある。
それがどのくらいあるのかはわからないけれど、少なからずあるように感じるのは、
それなりの理由はあるけれど、いまここでは書かない。
「聴きたいのはピアノの音ではなく、ピアニストだからだ」は、
「五味オーディオ教室」からオーディオが始まった私にとって、
長いこと考えてきたことへの答といっていいのかもしれない。
聴きたいのはピアニストである。