真空管アンプの存在(その60)
モーツァルトの最後の作品、K.626には、ある種の官能性が感じられる演奏に出逢うときがある。
そういう官能性が希薄な演奏も、また多い。
どちらが優れた演奏なのかは、ここでは語らないが、
私個人としては、官能性が希薄な演奏には惹かれない傾向がある。
官能性といっても、この曲の性格からして、みょうにべとついていては困る。
官能性のうちに、清潔感がなくてはならない、とも思う。
薄汚れてしまっている官能性も困るが、消毒しすぎてしまっては、おわりだ。
ただ、この官能性は、演奏だけの問題にとどまらず、アンプの性格によっても変ってくる。
アンプによっては、官能性をきれいさっぱり洗い流してしまうものがある。