オーディオの「介在」こそ(その10)
オーディオが「介在」する人間関係なんて……、
と、なにかいびつな人間関係なのではないか、もろいのも当り前じゃないか、
そう思うのが、ごく自然なことなのかもしれない。
はたして、そうとばかりいえるのだろうか。
オーディオが「介在」していたから、長いつきあいだった、といえなくもないところがある。
オーディオがなかったら、もともと知り合うことすらなかったであろうし、
長いつきあいで、一度も不愉快な感情を抱かないことがあるとも思えない。
いやなところ、みにくいところ、そういったところを感じたことは何度となくあった。
ということは知人にもあった、とみるべきだろう。
それでも、けっこう長い時間をつきあってこれたのは、オーディオがやはり「介在」してきたおかげである。
そうおもうと、オーディオが「介在」していからこそ、
音楽と、これだけ長い時間をつきあってこれたし、これからもつきあっていくのだろう。
オーディオの「介在」は、多くの人には邪魔なことでしかない。
音楽との間に介在するものが少なければ少ないほどいいのだとしたら、
大型で複雑なシステムを揃えるよりも、
iPodとヘッドフォン(イヤフォン)の組合せの方が、ずっと介在するものとしては小さい、といえる。
また少ない、ともいえよう。
もっとも、これもオーディオが音楽と聴き手のあいだに「介在」するという考え方である。
オーディオは邪魔モノなのか。
そう感じたことも、以前はあった。
けれど、いまは違う。