夜の質感(その4)
マーラーが見てきた景色は、マーラーの目を通した景色である。
マーラーが見ていた景色を、同じところから見ることが仮にできたとしても、
マーラーが生きていた時代と、いま私が生きている時代とでは、いろいろ違うことがある。
暗騒音にしてもマーラーの時代といまとではずいぶん違うことだろう。
空気も違うことだろう。
街を歩く人びとの服装も、マーラーの時代といまとではもちろん違う。
街並も、いまも現存している建物もあるだろうが、やはり変ってきている。
そうなるとマーラーが見ていたものと私がそこに立って見ているものが、必ずしも完全に一致することはない。
マーラーというフィルターを通して、マーラーだからこそ感じとれたものを含めて、
その風景を、ときにマーラーの音楽の聴き手であるわれわれは、感じとれることもある。
マーラーが生きてきた時代、マーラーの人生がどうだったのかは、
マーラーに関する書籍が、世界でいちばん多く出版されている、といわれている日本に住んでいるわけだから、
関心のある方は、すべてではないにしても、マーラーの聴き手であれば何冊かは読まれているだろう。
だから、それについてここでは書かない。
マーラーの音楽の中に入っている「景色」とは、いわゆる景色だけではない。
マーラーが、その人生で見てきたものがみな入っている、と解釈できると思う。
だから交響曲第一番の第一楽章が夜明けを描いていることは、
なんというアイロニーなであり、象徴的であろうか、とおもってしまう。