老いとオーディオ(なにに呼ばれているのか・その5)
あと二年で五味先生の「五味オーディオ教室」と出逢って五十年になる。
長いと思うだけでなく、
出逢った日のことを鮮明におもい出せるから、
あっという間だったとも感じているところもある。
なにに呼ばれてここまで来たのか、そしてどこまで行くのか。
そんなことを考えるようになってきたのは、齢をとってきたからなのか。
そうなのだろうか。
私と同じくらい、もっと長くオーディオをやってきた人は、多くいる。
その人たちは、なにに呼ばれてきたのか──、
考えてもいないし、感じてもいないのかもしれない。
いまの私の感覚では、そんなふうに感じも考えもしないことは、オーディオにおける老いではなく、
老いによる劣化なのではないだろうか。
これから、そういう劣化していく人を見ていくことになるのか。