時代の軽量化(その15)
《私が聴きたいのはいい音楽である。そしていい音楽とは、倫理を貫いて来るものだ、こちらの胸まで。》
「音楽に在る死」のなかで、五味先生がそう書かれている。
ステレオサウンド 51号掲載の「続オーディオ巡礼」では、こう書かれている。
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下品で、たいへん卑しい音を出すスピーカー、アンプがあるのは事実で、倫理観念に欠けるリスナーほどその辺の音のちがいを聴きわけられずに平然としている。そんな音痴を何人か見ているので、オーディオサウンドには、厳密には物理特性の中に測定の不可能な音楽の倫理的要素も含まれ、音色とは、そういう両者がまざり合って醸し出すものであること、二流の装置やそれを使っているリスナーほどこの点に無関心で、周波数特性の伸び、歪の有無などばかり気にしている。それを指摘したくて、冒頭のマーラーの言葉をかりたのである。
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区別をつけるに求められるのは、倫理だと思っている。
倫理を無視したところで差別が生じていくとも思っている。
倫理を曖昧にすれば、区別も曖昧になる。
時代の軽量化とは、こういうことでもあるのだろう。