老いとオーディオ(ジュリーニのブラームスの四番)
今月はブラームスをよく聴いている。
別項で書いているようにブラームスの交響曲第一番を、
バーンスタイン/ウィーンフィルハーモニーの演奏を中心として、
いろんな指揮者、オーケストラで聴いていた。
一番を集中して聴きながらも、四番の交響曲も聴いていた。
ブラームスの四つの交響曲で、私がよく聴くのは一番と四番だ。
二番と三番は、あまり聴かない。
四番がもっともブラームスらしいと感じるだけでなく、
四つの交響曲のなかで、いちばん好きでもある。
今日はジュリーニの四番を聴いていた。
シカゴ交響楽団によるEMI録音と、
ウィーンフィルハーモニーによるドイツ・グラモフォン録音である。
録音には約二十年の隔たりがある。
どちらがブラームスの四番として優れた演奏なのか。
どちらも私は好きだし、いい演奏だと感じている。
それでもずいぶん違う演奏だ。
シカゴとの四番は、推進力がある、とでもいおうか、
録音にキズのあるところが何箇所があるものの、
そんなことはほとんど気にならないほどの演奏だ。
シカゴとの四番を聴いた直後に、ウィーンとの四番を聴くと、
ちょっとものたりない、と感じなくもない。
でも、それはすぐに消えてしまう。
しなやかで、歌うかのようなブラームスの音楽を聴いていると、
ただただ聴き惚れてしまう。
ウィーンとの四番は発売されてすぐに買って聴いた時から、
素晴らしいと感じていたし、ブラームスをよく聴く知人にもすすめたことがある。
知人は、ピンとこなかったようだ。
一緒に聴いていて、「これをいい演奏というんですか」というような顔で、
私の方を見ていた。
そういうものかもしれない。
二人とも、その時から三十以上齢を重ねている。
知人とは疎遠になったが、彼はやっぱり、
三十年以上前と同じように感じるのだろうか。
私は、というと、こういうふうにしなやかにブラームスの交響曲を歌えるのであれば、
老いてゆく、ということの素晴らしさを感じている次第。