Archive for 4月, 2021

Date: 4月 6th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その4)

昨晩は男五人の飲み会だった。
どこかの飲食店でではなく、とある事務所でだった。

大きなテーブルに酒とツマミ。
男五人が、いつのまにか二人と三人にわかれて、
二人のほうは金融関係のまじめな話を、
三人(私はこちら)のほうは、あれこれいろんなことに話題が飛ぶ内容だった。

この事務所には、オーディオのシステムがある。
特に凝ったシステムではないが、あると、やはりいいものだ。
アンプを買い替えたい、ということだった。

それからネットワークオーディオもやってみたいということだった。
でもオーディオにはまったく詳しくない、という。

アンプの置き場所は、A級アンプや真空管アンプなど、
発熱の多いモノは向かない。

そうやっていくつかの条件を満たすモノはなにかと考えていたら、
JBLのSA750が好適なアンプにおもえてきた。

G級動作で、おそらく出力の割に発熱は少ないはずだ。
それにMQA対応のD/Aコンバーターも搭載している。

価格も3,000ドルらしいから、
なんらかのD/Aコンバーターとプリメインアンプを買うよりも予算は抑えられる。

問題は、SA750のデザインを気に入ってもらえるかだ。
意外にも、というよりも、当然なのかもしれない、と今回考えを改め直した。
SA750に対して、かなり好印象のようだった。

その人はSA600のことはまったく知らない。
SA750だけを見ての印象である。

SA750のデザインについて、あれこれいっている人は、
私を含めて、SA600に思い入れがあるからだ。
それゆえに、ついSA600とSA750を比較する。

Date: 4月 6th, 2021
Cate: 映画

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(その1)

今年最初の映画館での映画は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」だった。
平日の昼間、さほど混んでいなかった。

映画の出来、内容については人それぞれで賛否あったり、好き嫌いもあるようだ。
でも観ていると、これだけ時間をふくめて心血注いでつくられた作品は、
そう多くないと思っていた。

これだけだったら、ここでは書かないのだが、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」も、「願い」だった。

昨年12月にみた「ワンダーウーマン1984」もそうだった。
願いの成就には、高い代償をともなう。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」では、「願いと報い」だった。

昨年最後に観た映画と今年最初に観た映画で、
「願いと報い」である。

Date: 4月 5th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その17)

手持ちのヘッドフォンに試そう、とは前から考えていた。
すでにボイスコイルの直流抵抗は測定し、
必要な抵抗とコンデンサーは購入していた。

なのに迷っていたのは、どこにこれらの部品をとりつけるかである。

私が使っているヘッドフォンは左チャンネルからの片出しである。
左チャンネルに関しては、ケーブルの根元に取り付ければいいが、
右チャンネルとなるとヘッドバンドを経由する分だけ、
ボイスコイルとコンデンサーと抵抗の距離が増えることになる。

CR方法を実行することによる音の変化のほうが大きいであろうから、
それは些細な差なのかもしれない──と自分に言い聞かせても、
やっぱり精神衛生上しっくりこない。

それにどうしても部品の大きさの分だけ、ケーブルがふくれてしまう。
いかにもCR方法をやっています、とアピールする外観になってしまうのもイヤだった。

となるとイヤーパッドを取り外して、ハウジング内部におさめるしかない。
とはいえ、喫茶茶会記のアルテックのドライバーで同じことをすでにやっている。

それまでドライバーの端子に取り付けていた部品を、
バックカバーを外して内部に収めた。

内部にしてしまうことによるデメリットも小さくないとやる前から思っていたけれど、
以前書いているように、喫茶茶会記で演劇をやる人たちのスピーカーの扱いがひどい。
なので、通常はCR方法は外した状態で、audio wednesdayの時だけ取り付けていた。

そのままでもよかったのだが、通常の状態でもCR方法の音で聴いてもらいたいわけで、
そのためにもドライバー内部に収めたわけだ。

それまで使っていた部品をそのまま内部に収めた。
音は予想通り、芳しくない面も出てくる。
それでもないのに比べれば、ずっといい。

このことがあったからヘッドフォンのハウジング内部に部品を収めるのは、
二の足を踏んでいた。

Date: 4月 4th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その66)

オーディオの想像力の欠如のままでは、
High Fidelity ReproductionとHigh Fidelity Play backとを、
一緒くたに考えてしまうのかもしれない。

Date: 4月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ホロヴィッツのトロイメライ

アルゲリッチのシューマンのアルバムが出たころだった、と記憶している。
ラジオ技術で、西条卓夫氏が、「子供の情景」のトロイメライはホロヴィッツに限る、
それも1965年、カーネギーホールでの演奏ということを書かれていた。

アルゲリッチの「子供の情景」はよく聴いた。
ステレオサウンドでの試聴ディスクとしても聴いていた。

サウンドボーイ編集長のOさんは、「ハスキルもいいぞ」ということだった。
ハスキルもよかった。
それもあって、なんとなくだが、
「子供の情景」、「クライスレリアーナ」は閨秀ピアニストがいい、というふうになっていた。

ホロヴィッツがいい──、
それはわかる。
でもこちらの感覚的には避けていたところがあった。

ホロヴィッツのほかのディスクは買って聴いていた。
でも、1965年のカーネギーホールのディスクだけは避けてしまっていた。

1986年のモスクワでのコンサート。
ドイツ・グラモフォン盤は聴いた。
ここでもトロイメライは聴ける。

トロイメライという曲は、
コンサートホールという、大勢の人を相手に聴かせる曲なのだろうか。
そんなふうに思うところが私にはあるから、
トロイメライのような曲は、スタジオ録音がいい。

アルゲリッチのシューマンのころは、頻繁に聴いていたけれど、
ぷっつりと聴かなくなった。

ホロヴィッツのモスクワのライヴ録音のように、収録曲として含まれていたら聴いていたけれど、
あえて「子供の情景」、「トロイメライ」を聴きたい、とは思わなくなっていたので、
どこかで耳にする以外は、これまでずっと聴いてこなかった。

もしかすると、もう聴くことはなかったかもしれない。
けれど、TIDALで、ふと興味半分で検索してみたら、やっぱりあった。
ホロヴィッツの1965年のトロイメライを、初めて聴いた。

西条卓夫氏が、1965年の演奏を推されるのか。
聴けば、直感的に理解できる。

会場のざわめきはある。
けれど、静まりかえっている。
へんないいかただが、公開スタジオ録音のようにも感じられる。

今回も、落穂拾い的な聴き方といえばそうなのだが、
拾っていかなければならない落穂が、私にはまだまだあることを感じていた。

Date: 4月 3rd, 2021
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その10)

三年半ほど前に、ヤマハのヘッドフォンの現在のデザインについて、
少しだけ書いている。

そこで書いていることのくり返しになるが、私にとってのヤマハのヘッドフォンといえば、
マリオ・ベリーニによるデザインのHP1、
ポルシェ・デザインのYHL003である。

現在のヤマハのヘッドフォンが、HP1やYHL003と違うデザインだから、
とやかくいいたいのではなく、
左右のハウジングに、大きくヤマハのマーク(音叉を三つ組み合わせたもの)が入っているからである。
ここに違和感をおぼえた。

そういうヘッドフォンは、ヤマハだけではない。
ほかのブランドからもけっこうな数出ている。

でも、ヤマハの以前のヘッドフォンのデザインを知っているだけに、
ヤマハの場合は、特に気になってしまう。

でも、このことはいまやヘッドフォンは、
屋内だけでなく屋外、
つまり人にみられる空間での使用が当り前になってきているわけで、
そこにおいて自社のブランドをはっきりとアピールすることは、
そのブランドにとってだけでなく、そのヘッドフォンを選んだユーザーにとっても、
重要なことなのだろう。

それでも私は、ヘッドフォンを外に持ち出すことはしない。
あくまでも、スピーカーで聴く音楽も、
ヘッドフォンで聴く音楽も、ひとりで、のものであるからだ。

Date: 4月 3rd, 2021
Cate: audio wednesday

喫茶茶会記とaudio wednesday(その3)

「音で遊ぶ」オーディオマニアなのか、
「音と遊ぶ」オーディオマニアなのか。

そんなことを以前書いた。
世間一般では「音で遊ぶ」のもオーディオマニアということになるだろうが、
私は「音と遊ぶ」ことを楽しめてこそオーディオマニアだと確信するようになった。

「音で遊ぶ」ようなことはaudio wednesdayではしたくない。
「音と遊ぶ」audio wednesdayを、新しい喫茶茶会記でやっていく。

Date: 4月 3rd, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その65)

オーディオの想像力の欠如とは、
原音再生という考えを捨て去れない、ということだ。

Date: 4月 2nd, 2021
Cate: ディスク/ブック

Hallelujah(その2)

“JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)”は、2017年に公開された映画だが、
最初の監督、ザック・スナイダーが降板したため、別の監督に途中で交代している。

そのため、ザック・スナイダー版“JUSTICE LEAGUE”の公開を求めて、
アメリカで署名運動が起き、今年HBO Maxで配信公開されている。

サウンドトラックも、2017年版があり、
今回のザック・スナイダー版とがある。

CDはまだ発売になっていないようだが、
というよりもCDが出るのかどうかも、ちょっとあやしい。

TIDALで最近聴けるようになったのだけれども、
収録曲数54で、トータル4時間と表示される。

なのでCDの発売はないのかもしれない。

ザック・スナイダー版サウンドトラックには、“Hallelujah”がある。
レナード・コーエンのHallelujahである。
歌っているのは、Alison Crowe(アリソン・クロウ)。
ピアノの弾き語りだ。

この“Hallelujah”も、いい。

Date: 4月 2nd, 2021
Cate: 真空管アンプ

現代真空管アンプ考(その30)

QUADの22+IIの組合せを聴く機会には恵まれなかったけれど、
ステレオサウンドで働いていたから、QUADのトランジスター式のアンプをよく聴いた。

QUADのペアで聴くことも多かったし、
それぞれ単独で、他のメーカーのアンプとの組合せでも、何度も聴いている。

そうやってQUADのアンプの音のイメージが、私のなかでできあがっていった。
このことが、QUAD IIの真価をすぐには見抜けなかったことにつながっていったように、
いまとなっては思っている。

QUAD IIは22との組合せで、とある個人宅で聴いている。
他のアンプと比較試聴をしたわけではない。
あくまでも、その人の音を聴かせてもらうなかで、
アンプがQUADの22+IIであった、というわけだから、
その時の音の印象が、QUAD IIの音の印象となるわけではない。

それは十分承知していても、
私がQUAD IIを聴いたのは、このときとあと一回ぐらいだ。
どちらも22との組合せである。

22との組合せこそ、もっともQUADの音なのだが、
こうやってQUAD IIのことを書き始めると、QUAD II単体の音というのを、
無性に聴いてみたくなる。

おそらくなのだが、かなりいい音なのではないだろうか。
出力は公称で15Wである。
実際はもう少し出ているそうだが、
その出力の小ささとコンパクトにまとめられた構成、
そしてQUADのその後のアンプの音の印象から、
なんとなくスケール感は小さい、とどうしても思いがちだ。

実際に大きくはないだろう。
際立ったすごみのような音も出ないだろう。

それでも、フレキシビリティの高い音のような気がする。
このことはQUAD IIのアンプとしてのつくりとともに、
現代真空管アンプとしての重要な要素と考えている。

Date: 4月 1st, 2021
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その5)

四十年前の春、東京で暮すようになった。
10代のころの夢、20代のころの夢が違ってきたのは、
このこともけっこう大きく影響しているのだろう。

10代の大半は実家で、であった。
そのころは純粋に趣味としてのオーディオのことだけを考えていた時期でもあった。
高校一年ぐらいまでは、ずっと実家で暮していくものだと思っていた。

弟と妹がいる。
つまり長男である。
そうなのだが、これまで長男だ、というと、えっ、と驚かれるだけだった。
長男には、まったく見えないらしい。

でも長男なので、一時、実家を離れても戻ることを当り前のこととして捉えていた。
こんな私でも、長男だから……、という意識はもっていた。

オーディオを趣味としてやるのであれば、実家にいたほうが有利だ。
広い空間が使えるし、AC電源に関しても60Hzである。
それに田舎なので、静かだし、オーディオをとりまくノイズも少ない。

それが高校三年になる前くらいから変っていった。
思い出そうとしても、なにがきっかけだったのかははっきりとしない。

1980年の秋が深まったころには、東京に行かなければ、となぜか思うようになっていた。

Date: 4月 1st, 2021
Cate: ディスク/ブック

LA PASSIONE(その1)

ジャクリーヌ・デュ=プレが多発性硬化症におかされることなく、
演奏活動を続けていたら──と想像することがある。

チェロを弾くだけでなく、指揮活動もやっていたのではないだろうか、とふとおもってしまう。
いまでは女性の指揮者も珍しくなくなったけれど、
以前はそうではなかった。

私が女性の指揮する演奏(録音)を聴いたのは、
アルゲリッチの弾き振り(ベートーヴェンとハイドンの協奏曲)が最初だった。

アナログディスクだった。日本盤ということもあってか、
期待したにもかかわらず、これがアルゲリッチ? と残念に感じたものだった。

それからけっこう経ってCDも出てきた。
このときは期待していなかったけれど、まったく印象が違って聴こえた。
まさか再録音したのか、とつい思ってしまうほどに、活き活きとした演奏だった。

単に日本盤の音が悪すぎたのだろう。

内田光子もモーツァルトの協奏曲を弾き振りしている。
こういう演奏を聴くと、よけいにデュ=プレは? とあれこれおもってしまう。

バーバラ・ハンニガン(Barbara Hannigan)という、カナダのソプラノ歌手がいる。
タワーレコードの店頭で、ハンニガンのディスクをけっこう前にみかけてから、
ぽつぽつと聴いている。

あくまでもぽつぽつといったぐらいなので、
ハンニガンの活動にそれほど詳しいわけでもない。
それでも十年くらい前から指揮も始めたことぐらいは知っていた。

弾き振りならぬ、歌っての指揮なのだから、歌い振りとでもいうのだろうか。
指揮だけの録音があるとは思っていなかった。

facebookを眺めていたら、ハンニガンが指揮している動画が表示された。
ハイドンの交響曲第49番だった。

交響曲も指揮するのか、ハイドンの49番なのか。
それにハンニガンの指揮ぶりは、なかなかユニークだった。
さっそくTIDALで検索してみると、オーケストラは違うものの、あった。

“LA PASSIONE”である。
ジャケットには、ハンニガンとオーケストラの名称だけで、
作曲家の名前はない。

このディスクが出ていたのは知っていたけれど、
そこにハイドンの“La Passione”が含まれていることに気づいていなかった。