ホロヴィッツのトロイメライ
アルゲリッチのシューマンのアルバムが出たころだった、と記憶している。
ラジオ技術で、西条卓夫氏が、「子供の情景」のトロイメライはホロヴィッツに限る、
それも1965年、カーネギーホールでの演奏ということを書かれていた。
アルゲリッチの「子供の情景」はよく聴いた。
ステレオサウンドでの試聴ディスクとしても聴いていた。
サウンドボーイ編集長のOさんは、「ハスキルもいいぞ」ということだった。
ハスキルもよかった。
それもあって、なんとなくだが、
「子供の情景」、「クライスレリアーナ」は閨秀ピアニストがいい、というふうになっていた。
ホロヴィッツがいい──、
それはわかる。
でもこちらの感覚的には避けていたところがあった。
ホロヴィッツのほかのディスクは買って聴いていた。
でも、1965年のカーネギーホールのディスクだけは避けてしまっていた。
1986年のモスクワでのコンサート。
ドイツ・グラモフォン盤は聴いた。
ここでもトロイメライは聴ける。
トロイメライという曲は、
コンサートホールという、大勢の人を相手に聴かせる曲なのだろうか。
そんなふうに思うところが私にはあるから、
トロイメライのような曲は、スタジオ録音がいい。
アルゲリッチのシューマンのころは、頻繁に聴いていたけれど、
ぷっつりと聴かなくなった。
ホロヴィッツのモスクワのライヴ録音のように、収録曲として含まれていたら聴いていたけれど、
あえて「子供の情景」、「トロイメライ」を聴きたい、とは思わなくなっていたので、
どこかで耳にする以外は、これまでずっと聴いてこなかった。
もしかすると、もう聴くことはなかったかもしれない。
けれど、TIDALで、ふと興味半分で検索してみたら、やっぱりあった。
ホロヴィッツの1965年のトロイメライを、初めて聴いた。
西条卓夫氏が、1965年の演奏を推されるのか。
聴けば、直感的に理解できる。
会場のざわめきはある。
けれど、静まりかえっている。
へんないいかただが、公開スタジオ録音のようにも感じられる。
今回も、落穂拾い的な聴き方といえばそうなのだが、
拾っていかなければならない落穂が、私にはまだまだあることを感じていた。