Archive for 4月, 2019

Date: 4月 19th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その8)

目標を立てて、そこを目指していく。
しかもいつまでに実現するかという期限を決めて目標に向っていく。
実現したら、次の目標……、
それが成功の秘訣らしい。

菅野先生からも同じ話をきいたことがある。
菅野先生の友人で、アメリカ人がまさにそうだった、ときいている。

目標を立てて、しかもいつまでに実現する、ということも一緒に決めての行動なのだそうだ。
実際、その友人はとんでもなく成功している人だそうだ。

M君もT君も、目標をそれぞれ立てていた。
しかもどちらも期限つきである。

A君は、M君やT君のような具体的な目標は持っていなかった(はずだ)。
A君は、信ずる道を歩んでいっているように、私の目には映る。

20代のころ、A君と会った時に、きこうとしたことがある。
別の道を選ぼうとは考えなかったのか、と。

立ち居振る舞いの物静かなA君である。
そんなことをストレートにきいていたら、どんな表情をしたのか。
表情を変えることなく答えてくれたかもしれない。

私は「五味オーディオ教室」と出逢うまでは、
中学の理科の先生になろうと、思っていた。
中学のころは喘息の発作もほとんどなかったから、こんなことを考えるようになってもいた。
父が中学の英語の教師だったことも影響していた。

「五味オーディオ教室」と出逢ってからも、
一年くらいは、中学の先生っていいなぁ、とけっこう真剣に思っていた。
とはいっても、具体的な目標だったわけではなかった。

Date: 4月 19th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その12)

修羅場の経験を持たぬ者と持つ者の二人がいれば、
その二人がオーディオマニアであるならば、
鍛えられているのは、修羅場の経験を持つ者のはずだ。

オーディオは趣味である。
音楽は嗜好品である。
そこにおいて修羅場とは、なんと大仰な、大袈裟な、といわれようと、
修羅場の経験を持たぬ者と持つ者とは、常にいたはずだ。

けれど、いまでは持たぬ者ばかりになってしまってきているのかもしれない。

オーディオは確かに趣味であるのかもしれない、
音楽には嗜好品という一面も確かにある。
でも、それだけだったら、私はここまでオーディオに夢中になっていない。

元来飽きっぽい性格である。
そんな私が四十年以上つきあってきている。

死ぬまでオーディオマニアのはずだ。

オーディオで修羅場なんて──、
そんなことを書く者は時代錯誤者といわれる時代なのかもしれない。

こう書きながらも、世の中そんなには変っていないのかもしれない、というおもいももつ。
ただ数人のオーディオの修羅場の経験を持つ人が、もういないだけであって……

Date: 4月 19th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その15・追補)

(その15)を読んでくれた友人のOさんからメールがあった。
伊藤先生の349Aプッシュプルアンプの記事は、1973年5月号に載っている、ということだった。

国会図書館が雑誌の電子化を始めていて、
記事そのものは公開されていないけれども、目次はインターネットで検索できるようになっている。

1973年5月号に伊藤先生以外の製作記事も載っている。
それらの記事のタイトルは、真空管の型番と、
アンプの形式のあとに「設計と製作」とついている。

伊藤先生の349Aのアンプも基本的には同じだが、
「WE-349App8Wパワー・アンプの設計と製作の心得」というように、
製作のあとに「心得」とついている。

Date: 4月 18th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その3)

スマートフォンが普及し出したのは、いまから十年も経っていないころからである。
なので平成の終りの三分の一ほどのことではあり、
スマートフォンがなかった平成のほうが長かったのは頭ではわかっていても、
平成という元号の三十年は、電話のパーソナル化の時代だったように感じる。

昭和の終りごろに登場した携帯電話は、肩から下げるタイプで、大きく重かった。
高価だったから触ったことはないが、
一度だけ駅のホームで話している人をみかけたことがある。

料金は高かったはずだ。
その人は「これから帰ります」と手短に話して通話を切っていた。
これが昭和の携帯電話だった。

昭和の時代、電話は一人一台というモノではなかった。
一家に一台というモノだった。

それがいまでは掌におさまるサイズで、
この進歩は真空管式ラジオがトランジスター式ラジオにかわり、
さらにIC化されカードサイズになっていったのをはるかに超えている。

私が通っていた小学校には、教室に真空管式のラジオがあった。
もちろん飾りではなく、いちおう動作していた。

私が通っていたころに創立百周年をむかえるくらい古くからの学校だから、
設備も、このラジオの例のように部分部分で古かった。

なにか特別な放送だったのだろう、
皆でラジオを聞こうということになったが、ほとんど使っていない古いラジオゆえに、
うまく受信できない。

誰かがラジオから出ているアース線の先端を口にくわえた。
するとそれまでノイズに音声が埋もれていたような受信状態がかなりよくなって、
音声が聞き取れるようになった。

そんなこともあった。
それがいまやスマートフォンで、そんなことをせずにノイズなく聞ける。

携帯電話とともにインターネットもパーソナル化されていった結果といえよう。
インターネットのパーソナル化で思い出すのは、
1999年の、東芝クレーマー事件と呼ばれる出来事だ。

Date: 4月 18th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その15)

伊藤先生の349Aのプッシュプルアンプの製作記事は、
1973年の無線と実験に載っている。

私が持っているのは記事をコピーしたものをさらにコピーしたもので、
何月号なのかははっきりしない。

記事の冒頭に《昭和48年の御代》と書かれているから、
1973年であることは間違いない。
251ページから255ページにわたって掲載されている。

回路図には出力トランスの一次側インピーダンスは8kΩとなっているが、
実際のアンプは10kΩである。

出力トランスはラックスのCSZである。
この10kΩ(カタログには載っていないはず)という値が、
最終的にはネックとなり、片チャンネル、出力トランスが断線してしまい、
修理が非常に困難になってしまっていた。

そんなわけで伊藤先生の349Aプッシュプルアンプを聴いたのは一度きりである。
けれど、その一度きりはじっくりと聴くことができた。

アナログプレーヤーはEMTの927Dstで、
イコライザーアンプの出力をアッテネーターと通して349Aのアンプに入力。
スピーカーはJBLの2ウェイで、
ウーファーが2220、ドライバーは2440(2441ではなかったはず)でホーンは2397。

エンクロージュアはステレオサウンド 51号で、細谷信二氏担当の記事、
ジェンセン型のモノである。

この構成からわかるように、スピーカーはナロウレンジ、高能率である。
349Aプッシュプルアンプも、実はナロウレンジといえる。

製作記事の最後のページには、測定結果が載っている。
周波数特性グラフをみると、低域特性は、-3dBポイントがおおよそ70Hzである。

349Aは五極管で、出力段は三極管接続でもUL接続でもなく、
五極管接続で、出力トランスの二次側からのNFBはかけられていないのは、既に書いてる通り。

それに位相反転段と出力段とのあいだのカップリングコンデンサーの容量からいっても、
低域特性が最低域までフラットになるわけがない。

些細なことだが、回路図では0.05μFとなっているが、
使われいてるのは0.047μFである。

回路図と実際のアンプを比較していくと、コンデンサーの容量は、わずかだが違うところがある。
もっとも特性的にはほとんど差違はないといっていいくらいの違いである。

ナロウなスピーカーにナロウなアンプ。
カートリッジもまだSFLは登場していなかったから、こちらもワイドレンジとはいえない。
EMTのイコライザーアンプも、入力と出力にトランスがあるし、
トランジスター式とはいえ、古い回路構成である。

なのにまったくナロウレンジとは感じなかった。

Date: 4月 18th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(仕舞っていくために)

こうやって毎日書いているわけだが、
最近になって、こうやって書くことで、
私にとって大切なことをきちんと仕舞っていこうとしているのだということに気づいた。

ここで読んでいる人のなかには、
どうでもいいこまかなことにこだわって……とか、
独断過ぎる……、とか、
そんなふうに感じている人もいようが、
案外、それが正しい受け止め方なのかもしれない。

私にとって大切なことを仕舞っていくために書いているのだから、
ほかの人にはどうでもいいことが私にとっては大切なことであったり、
ほかの人にとって大切なことが私にはさほど重要ではなかったりして、当然だろう。

それに大切なことを持っていない人もいるのかもしれない。

Date: 4月 17th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その2)

西荻窪にはつねというラーメン店がある。
良く知られている店だ。

ステレオサウンドにいたころ、西荻窪に住んでいた。
会社の帰りや行きに、
オーディオ評論家のところに資料を届けたり、原稿を受けとったりするのに便利ということもあっての、
西荻窪という選択だった。

私がいたころのステレオサウンドは10時出社18時退社だった。
忙しい時期は無理だけど、残業のない時期は、18時ぴったりに会社を出れる。

そのころのはつねは19時閉店だった(いまは17時閉店)。
寄り道することなくまっすぐ西荻窪を目指せば、19時の閉店に間に合う。
それに、いまのように行列もなかった。

はつねの閉店に間に合う時期には、週二回は行っていた。
三回の時もあったほどに気に入っていた。

西荻窪を離れてからは足が遠のいた。
それに行列店になってしまったし、閉店の時間も早まった。

ここ数年、思い出して行っている。
今日も17時になんとか間に合った。
最後から二人目の客になった。

店の雰囲気は、昔とほとんど変らない。
以前は七席あったと記憶していたが、いまは六席である。

私の分が出来上るまでの待ち時間、気づいたことがある。
満席だった客、誰もスマートフォンを触っていないことに気づいた。

食べている人はもちろんだが、待っている人誰もスマートフォンを触っていない。
私は昔と同じように店主がつくるのを眺めていた。

途中で、私のあとに入ってきた本日最後の客となった人がスマートフォンを取り出すまで、
はつねの店内は昭和のようだった。

Date: 4月 17th, 2019
Cate: audio wednesday

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

あと二週間で、令和になる。
二週間後の水曜日、audio wednesday。
ちょうど100回目である。

100回だからといって、特別なことをやるわけではない。
いつものようにやっていくだけではある。

それでも新元号の最初の日が、ちょうど100回目という偶然は、
これまで欠かさずやってきた者としては、ちょっぴり嬉しい。

しかもメリディアンの218を聴ける。
これまで三回聴いてきたメリディアンのULTRA DACは素晴らしい。
ずっと聴き続けていたい、と毎回思う。

それでもすぐに手を出せる価格ではない。
ULTRA DACを聴いた人は、
ポンと買える人を除けば、皆、もう少し手の出しやすい価格で──、と思っているはず。
私だってそう思う。

218の存在は気になっていた。
まだ聴いていない。
5月1日のaudio wednesdayで初めて聴く。

少し実験的な使いこなしをやってみようと考えている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 17th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その7)

M君は東大に、
T君は航空自衛隊に、
それぞれ明確な目標を持っていた。

この二人とは違うけれど、忘れられない友人にA君がいる。
彼は東京から、小学五年のときに転校してきた。

20代まで私はガリガリだった。
A君もまた痩せていた。
二人とも、青瓢箪といわれてもいた。

それだからなのか、不思議と仲がよかった。
A君とは中学一年まで、約三年間同じクラスだった。

A君が東京から、熊本の片田舎に引っ越してきた理由は、
布教活動だった。

A君の一家はみなエホバの証人の信者だった。
だからといって、私にエホバの証人のことをすすめたりはしなかった。

けれど中学に入ると、体育の授業で柔道の時間がある。
A君は、エホバの証人の教えに反するという理由で、柔道のときには見学していた。

A君は、いろんなことに真面目だった。
勉強もよくできた。

けれどA君は高校進学をしなかった。
仕事に就き、布教活動に専念していた。

中学二年からは別々のクラスだったし、
そういうわけでA君は高校にいかなかったけれど、つき合いは続いた。
私が上京してからも、手紙のやりとりを何度かしていた。

当時はインターネットもスマートフォンもなかったし、
電話代も、東京と熊本とでは高かった。

A君はわりと早くに結婚した。
エホバの証人の女性と、である。

A君ならば、いい高校に行けたはずだし、大学もかなりのところに合格したと思う。
エホバの証人の信者でなければ、
信者であっても、不真面目な信者であったならば、
就職先にしても条件のいいところに入れただろうし、
ずっと裕福な生活を送っていただろうに……、と思ったことがある。

そんなことは彼に言ったことはないし、
もう会わなくなってけっこう経つ(単に私が帰省していないだけなのだが)。

以前は成人してからも、帰省したときに会っていた。

T君もM君も、自らの夢(目標)に向っていた。
A君は、そうではない(と私の目には映っていた)。

親が決めた、もしくはエホバの証人が決めた道を歩んでいる。
でもA君の口から、愚痴めいたことはいままで聞いたことがないし、
A君は幸せそうである。

Date: 4月 16th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その14)

私が、心底美しいと感じた最初の真空管アンプは、
伊藤先生のEdのプッシュプルアンプだった。

このアンプとそっくりなアンプを自作したい、と思ったのが、
真空管アンプについて勉強するようになったきっかけでもある。

アンプだけではなかった、
Edという、初めて見る(知る)真空管も美しい、と感じていた。

私はST管があまり好きではない。
いかにも真空管という感じがしているからで、
シーメンスのEdのような形が、私の好きな真空管である。

それでも音を聴くと、結局ウェスターン・エレクトリックの真空管ということになる。
伊藤先生のEdのシングルアンプを聴いたのは、
349Aプッシュプルアンプの一年ぐらいあとである。

その時のことは別項で書いているのでくり返さないが、
やっはりウェスターン・エレクトリックなのか……、と実感させられた。

なんだろうなぁ、と、伊藤先生のアンプの音を思い出す度に考える。
349Aプッシュプルアンプの出色の音の良さは、
音楽がデクレッシェンドしていくときの美しさにある。

すーっと音がひいていく。
それまで、そんなふうにデクレッシェンドの美しさを表現してくれるアンプと出逢ったことはない。

アンプだけではない、そういう音そのものを聴いたことはほとんどない。

五味先生は「五味オーディオ教室」、
《はじめに言っておかねばならないが、再生装置のスピーカーは沈黙したがっている。音を出すより黙りたがっている。これを悟るのに私は三十年余りかかったように思う》
と書かれていた。

スピーカーは沈黙したがっている──のかもしれない。
けれど、アンプやプレーヤー、その他のことによって、素直に沈黙できないでいるのかもしれない。

Date: 4月 15th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その13)

私にとって、最初のグッドリプロダクションのスピーカーはスペンドールのBCII、
最良のグッドリプロダクションのスピーカーはロジャースのPM510である。

BCIIを自分の手で鳴らすことはなかったけれど、
PM510は自分のモノとして鳴らしている。

このPM510を鳴らすためのアンプとして計画していたのが、
伊藤先生が無線と実験に発表された349Aのプッシュプルアンプである。

この349Aプッシュプルアンプが、私にとって最初の伊藤アンプである。
それ以前に真空管アンプは、自作のモノも含めていくつか聴いていたが、
まさか伊藤先生製作のアンプが、こんなにも早く聴ける日がくるとは思ってもいなかった。

東京に台風が接近して大雨だったある日、349Aアンプをじっくり聴く機会があった。
この時から、PM510を349Aプッシュプルアンプで鳴らそうという夢が始まった。

PM510は、まさしくグッドリプロダクションのスピーカーだった。
瀬川先生が、ステレオサウンド 56号に書かれた文章を、
手に入れる前に何度も何度も読み返していた。
     *
 JBLが、どこまでも再生音の限界をきわめてゆく音とすれば、その一方に、ひとつの限定された枠の中で、美しい響きを追求してゆく、こういう音があっていい。組合せをあれこれと変えてゆくうちに、結局、EMT927、レヴィンソンLNP2L、スチューダーA68、それにPM510という形になって(ほんとうはここでルボックスA740をぜひとも比較したいところだが)、一応のまとまりをみせた。とくにチェロの音色の何という快さ。胴の豊かな響きと倍音のたっぷりした艶やかさに、久々に、バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった。
     *
《バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった》とある。
まさにグッドリプロダクションである。

ぼんやり聴きふけりたい──、
そのためには、出てくる音のどこかにもどかしさを感じるようであってはだめだ。

HL Compactの音を聴いていて、
この場に瀬川先生がおられたら、HL Compactの音をどう表現されるだろうか──、
何度もそう思った。

音にもどかしさを感じるだけでなく、
そのもどかしさを言葉として表現できないもどかしさも感じていた。

瀬川先生なら、きっと、そのもどかしさを的確に表現されるはず──、
そう思っていた。

Date: 4月 15th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その12)

300Bのアンプについて書いてきていたのに、
いきなりスピーカーのことを書き始めたのは、
ここで書いている300Bプッシュプルアンプは、
私にとってのグッドリプロダクション・アンプであるからだ。

ハーベスのHL Compactは、聴けば聴くほど、私はもどかしさを募らせていた。
聴く機会は多かった。

悪いスピーカーではない。
そんなことはわかっている。
それでも、聴き惚れることがない。
その音のどこにも、そういう要素が感じられない。

しかももどかしさが、どこかにある。
もどかしさがあるから、心地よくない。

私は、HL Compactの登場によって、ハーベスのスピーカーへの興味を失ってしまった。

HL Compactが1987年、それから16年後の2003年、
HL Compact 7ES3が出てきた。

このスピーカーも評価がよかった。
けれどハーベスのスピーカーに興味を失っていた私は、特に聴きたいとも思っていなかった。
それでも偶然、あるところで耳にしたHL Compact 7ES3の音は、
どうしても拭えなかったHL Compactのもどかしさがなかった。

HL CompactからHL Compact 7ES3のあいだに登場した他のハーベスのスピーカーは聴いていない。
だから何もいえないのだが、HL Compact 7ES3は、グッドリプロダクションである。

HL Compact、HL Compact 7ES3、
どちらもグッドリプロダクションだ、と思っている人は少なくない、と思う。
そういう人には、私がここで書いていることはわかってもらえないかもしれない。

けれど私と同じようにHL Compactに、なにかしらもどかしさを感じていた人もいると思う。
その人は、ここで書きたいと思っているグッドリプロダクション・サウンドを理解してくれるはずだ。

Date: 4月 15th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その11)

High Fidelity ReproductionとGood Reproduction、
高忠実度再生と心地よい再生、

瀬川先生が、スピーカーを分類するときに使われていた。
私にとってのグッドリプロダクションのスピーカーといえば、
イギリスのスピーカーで、それもBBCモニターの流れを汲むモノである。

スペンドール、ロジャース、ハーベス、チャートウェルなどのメーカーがあった。
いまもブランドだけは残っているところもある。
ハーベスは、いまも生き残っている会社である。

ハーベスのデビュー作、Monitor HLは、フレッシュだった。
いいスピーカーだ、と思ったし、欲しい、とも思った。

スペンドールのBCIIよりも、その響きは明るかった。

そのハーベスも創立者のハーウッドが高齢のため引退し、アラン・ショウが引き継いでいる。
アラン・ショウによる最初のモデルは、HL Compactだった。

HL Compactの評価は高かった。
HL Compactが登場した時は、まだステレオサウンドにいたから、
皆がほぼ絶賛に近い褒め方だったのをみてきている。

けれど、私の耳には、ずいぶん変ったなぁ、と感じたし、
変ったこと自体は設計者が違うわけだし、時代の変化もあり、当然のことと受け止めても、
私がBBCモニター系のスピーカーに感じていたグッドリプロダクションといえるところが、
HL Compactからは消えていた。

消えていた、というのが大袈裟すぎるのであれば、かなり薄れてしまっていた。
HL Compactを聴いて、何か致命的な欠陥があるとは感じなかった。
バランスのいいスピーカーに仕上がっていた。

けれど、その音が私にとってはグッドリプロダクション(心地よい音と響き)ではなかった。

どうも、このグッドリプロダクションは、少し誤解されているようであるが、
やわらかくてあたたかくて、耳にやさしい感じで鳴る音だから、
グッドリプロダクションではない、と私は考えている。

確かに、そういう音は、心地よい音につながっていくことは多い。
けれど、どこかにもどかしさを感じてしまうと、
どんなに上質な、そういう音であっても、もうグッドリプロダクションではなくなる。

Date: 4月 14th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その10)

6SN7による位相反転回路と出力段300Bとのあいだに、
E80CCによる増幅段を挿入するのであれば、
最初からE80CCの前段に入力トランスをおくことで、
ノイマンのV69aと同じ構成にすることができる。

こちらのほうが回路的にもすっきりしていて、信号が通る真空管の本数も少なくなる。
しかも私が考えているA10型300Bプッシュプルアンプにも、入力トランスを使うつもりだから、
よけいに6J7、6SN7による増幅段建位相反転回路は不要──、
そう受けとられがちになるだろう。

別項の「現代真空管アンプ考」で書いている(目指している)アンプならば、
そういう構成にするけれど、ここでの300Bプッシュプルアンプは、
そういうアンプはまったく考えていないし、
聴き手である(作り手でもある)私自身の、音楽の聴き手としての生理というか、
もっといえばオーディオマニアとしての生理、本能といったものに、
直截に向きあってのアンプに仕上げたいからである。

向きあって、と書いた。
(むきあって)は剥きあって、でもある。

剥くことによって、仕上げられるアンプというものがある、と考えるからだ。
それに剥くは無垢でもあり、
誰かに聴かせるためのアンプではない。

Date: 4月 13th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(長生きする才能・その1)

五味先生の「私の好きな演奏家たち」からの引用だ。
     *
 近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
     *
《生きねばならない》、
《生きのびねばならない》とある。

長生きする才能とは、生き延びることなのか。
生き延びるとは……、と考えると、
生き残る、生き続けるの違いについて思うようになる。

生き残る才能、生き続ける才能は、同じようでいて、同じなわけではない。
二つをひっくるめての生き延びる才能なのか。

そんなことを考えていると、そういえば、生き抜くもあることに気づく。