平成をふり返って(その3)
スマートフォンが普及し出したのは、いまから十年も経っていないころからである。
なので平成の終りの三分の一ほどのことではあり、
スマートフォンがなかった平成のほうが長かったのは頭ではわかっていても、
平成という元号の三十年は、電話のパーソナル化の時代だったように感じる。
昭和の終りごろに登場した携帯電話は、肩から下げるタイプで、大きく重かった。
高価だったから触ったことはないが、
一度だけ駅のホームで話している人をみかけたことがある。
料金は高かったはずだ。
その人は「これから帰ります」と手短に話して通話を切っていた。
これが昭和の携帯電話だった。
昭和の時代、電話は一人一台というモノではなかった。
一家に一台というモノだった。
それがいまでは掌におさまるサイズで、
この進歩は真空管式ラジオがトランジスター式ラジオにかわり、
さらにIC化されカードサイズになっていったのをはるかに超えている。
私が通っていた小学校には、教室に真空管式のラジオがあった。
もちろん飾りではなく、いちおう動作していた。
私が通っていたころに創立百周年をむかえるくらい古くからの学校だから、
設備も、このラジオの例のように部分部分で古かった。
なにか特別な放送だったのだろう、
皆でラジオを聞こうということになったが、ほとんど使っていない古いラジオゆえに、
うまく受信できない。
誰かがラジオから出ているアース線の先端を口にくわえた。
するとそれまでノイズに音声が埋もれていたような受信状態がかなりよくなって、
音声が聞き取れるようになった。
そんなこともあった。
それがいまやスマートフォンで、そんなことをせずにノイズなく聞ける。
携帯電話とともにインターネットもパーソナル化されていった結果といえよう。
インターネットのパーソナル化で思い出すのは、
1999年の、東芝クレーマー事件と呼ばれる出来事だ。