Archive for 12月, 2018

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その7)

「原田勲氏が亡くなった日が、ステレオサウンドのXデーだ」のあとに、
補足的なことを話すと、いわれてみれば、と納得してくれる。

それでも、私がこのことを話したのはそう多くはないし、
オーディオマニアの多くは、そういうふうには思っていないことだろう。

それでも、私以外に、私以上にそのことに気づいていたのは、
ほかならぬ原田勲氏のはずだ。
もちろん、これは私の憶断である。

原田勲氏は、季刊誌ステレオサウンドと株式会社ステレオサウンドをつくっている。
編集長でもあったし、社長でもあった。
そういう人だから、誰よりもはやく、そして強く感じていたのではないのか。

ここ数年のステレオサウンドは、出版以外にもそうとうに力をいれている。
それは出版という業種は、本が売れてもお金が入ってくるのに時間がかかるからである。

私がいたころも、原田勲氏から直接、
出版業の、そういうやりくりの大変さを少しばかり聞いたことがある。

本は取次を通して書店に納められる。
本の売上げは、だから取次をとおして出版社に支払われる。

本が売れた、すぐに取次が支払ってくれるのであればいいが、
実際には数ヵ月待たなければならない、ということを聞いている。

だからベストセラー倒産ということが実際に起きる。
ベストセラーを出せば出版社は潤うはずなのに、
売れるならば、すぐさま増刷しなければならない。
けれど、その本の売上げが取次から支払われるのは、ずいぶん先のこと。
資金繰りにいき詰まっての倒産がある。

ゆえに出版社は、いわゆる日銭を稼ぎたい。
株式会社ステレオサウンドは、いまではいろんなモノを売っている。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: 電源

電源に関する疑問(バッテリーについて・その4)

ステラが輸入販売しているドイツのストロームタンクの製品。
リチウムイオン電池から交流電源を作り出す電源であり、
とにかく大きくて重い。そして高い。

商用電源と比較すると、おそらく大きな音の違いはあるはず。
残念ながらインターナショナルオーディオショウでは、
ストロームタンクから電源をとった音は聴けても、
商用電源との比較試聴はできない。

なのでどれだけの効果なのかは確認できないのだが、
そのことよりも、これだけの大容量のバッテリーであっても、
この項で書いてきていること、
つまり電池の残量によって音が変化してしまうことからは逃れられていないのではないか、
このことの方を確認したくなる。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論をどう読むか(その5)

(その4)へのコメントが、facebookであった。
そこには、こんなことが書かれてあった。

コメントを書いてくれた人が読んだオーディオ関連の本には、
オーディオ評論家は専門知識に明るくない方がいい──、
そんなことが書いてあったそうだ。

誰が書いたのだろうか。
オーディオ評論家は……、と書いてあるくらいだから、
オーディオ評論家ではないだろう。

どんな人が、どういう立場の人が、このことを言ったかによっても、
受け止め方は違ってくるところがある。

ただ専門知識といっても、生半可な専門知識ではない。
中途半端な知識であれば、確かにないほうがいいと私も思っている。

井上先生がよくいわれていたこと、
頭で聴くな、耳で聴け、
このことはその程度の知識をもっているがゆえに起ることでもある。

もちろん基礎知識は必要である。
けれど専門知識となると、それを身につけるにはどれだけの時間と情熱を要するのか。
それにその過程においては中途半端であるのも確かである。

ならば、そういった専門知識はない方がいい。
頭で聴くことはなくなるからである。

けれど、オーディオ評論家は専門知識に明るくない方がいい──、
と書いていた人がメーカーの人だったりすると、受け止め方は違ってくる。

メーカー側にとって都合のいい広報マンとしてのオーディオ評論家ならば、
専門知識に明るくない方がいいのは確かなことだ。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ルールブレイカーか・その2)

11月29日の夜は、われら三人はキリギリス、ということも出てきた。
自業自得の男たち、というのも出てきた。

キリギリスとは、イソップ寓話「アリとキリギリス」のことである。
自業自得であることはわかっている。

そんな表現をききながら、
ルールブレイカーに必要なのは、前回書いたこと(ルールを熟知していること)のほかに、
遊び心を持っていることだな、とも思っていた。

遊び心を失ってしまうと、窮屈な世界になってしまう。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: 1年の終りに……

2018年をふりかえって(その1)

今日から12月。
月日の経つのをはやく感じた、かというと、
そうでもなかったりする。意外と長かった、と感じているところもある。

あっという間だった、と感じたときもあれば、そうでなかったときもあるし、
長いと感じていたときもある。

今年も、新しく知りあえた人たちがいる。

オーディオがもたらしてくれた人とのつながりである、と一年前にも書いた。
一年後も、同じことを書いている、とおもう、とも書いた。

まったくそのとおりだ。
そして来年もいまごろも、また同じことをきっと書いているだろう。

2018年の始まりは、
1月14日、杉並区の中央図書館の視聴覚ホールで行われた
オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏による講演会「菅野録音の神髄」といえる。

ある人から、もしかすると菅野先生が来られる、ということをきいていた。
でも、可能性は低いだろう、とききながら思っていた。
当日も、まったく期待していなかった。

その日のことは別項「「菅野録音の神髄」(その1)」に書いている。
最前列の中央に菅野先生がおられた。

短い時間ではあったが、話すことができた。
このとき、予感はしていた。
こういう予感だけは、なぜだかあたる。

これが最後だ、という予感は、あたってほしくないのに、あたってしまう。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論をどう読むか(その4)

繙いていくことが、オーディオに限らず、
その道の評論家と呼ばれる人たちの第一の仕事ではないのか。

あるスピーカーやアンプを聴いて、その音の印象を、ただ書き連ねる。
どんなにことこまかに書かれていようが、
繙くことが、そこでなされていないのであれば、それは単なる感想文でしかない。

評論の「論」のこだわりすぎて、
付焼刃の哲外的なことをあれこれ書いたところで、
そこで、何かが繙かれていることは、ほとんどない、というか、まずない。
それは、往々にして、自己陶酔文であったりする。

オーディオのことを繙くとは、
オーディオの専門家が、読み手が気づかなかったことを気づかせることである。
オーディオ評論家が、オーディオに接している時間は、
読み手(つまりオーディオマニア)よりも、圧倒的に長い。

ほぼすべての新製品を聴いているわけだし、
メーカーの技術者と直接話すことだってある。
海外のメーカーを訪問することもある。

そうやって得られた知識と経験を有機的に体系づけてこその専門知識。
その専門知識なしでは気づかないことが、オーディオにはある。
オーディオだけではないはずだ。

その気づきを読み手に与えるのが、オーディオ評論家の仕事である。