Archive for 8月, 2014

気になっている(その4)

オーディオの玄人について、いずれ詳しく書きたいと思っているが、
ここでは、オーディオの素人に絞っていくつもりだ。

オーディオの玄人をオーディオを本職とする人ということになれば、
オーディオの素人は、オーディオに強い関心をもっているけれど、本職としていない人ということになる。
オーディオマニア、オーディオファイルと呼ばれている人は、
ほぼみんなオーディオの素人ということになるわけだが、この項の(その1)で、
オーディオに関心のない人のことをオーディオの素人と表現した彼は、オーディオを仕事とはしていない。

そうなると、彼もまたオーディオの素人ということになる。
けれど、彼自身はオーディオの素人だとは、おそらく思っていないはず。
思っていないからこそ、オーディオに関心のない人のことをオーディオの素人と、
特に意識することなく、そう呼んだのだ。

ここで考えるのは、私自身のことである。
私は、いまオーディオを本職としていない。
オーディオで生計をたてているわけではない。
その意味では、私もオーディオの素人ということになるが、
自分のことをオーディオの素人とは思っていない。

もしかするとオーディオに関心のない人のことをオーディオの素人と呼んだ彼も、
私と同じなのだろうか。

彼はオーディオの玄人と自称したいのかもしれないが、私はそんな気もない。
玄人という言葉があまり好きでないからであって、専門家というのもしっくりこないから、使いたいとは思わないが、
一つの物事に熟達した、という意味でのオーディオの玄人という自負はもっている。

Date: 8月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その38)

私がステレオサウンド 51号、55号のベストバイのやり方に不満をもっているのか、
その理由はもうわかっていただけたと思う。

51号、55号でのやり方では、誰がどの機種を選んだのか、点数は何点だったのかがわからないし、
選ばれた機種に関しても、前述したようにひとりの筆者によるものだった。

私にとってベストバイは、その一年間、瀬川先生が聴かれたオーディオ機器で、何を良いと思われたのか、
それはどう良いのかを読みたかった。

51号、55号のやり方では、どれひとつわからないし読めない。

43号、47号では、知りたいことがきちんと誌面に提示されていた。
59号では一機種についてのコメントは、誰か一人というやり方に変っていた。
誰がど機種にいれたのかはわかるようになっていた。

51号、55号からすれば、ずっと良くなったけれど、
この機種に瀬川先生に点数を入れられているけど……、というのが、いくつも出てくる。

ステレオサウンド 43号で瀬川先生は188機種について書かれている。
47号では、151機種について書かれている。
51号、55号は0である。
59号では21機種である。

私が読み応えがなくなっていった、と感じているのは、ここてある。

Date: 8月 7th, 2014
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(Dolby Atmos・その6)

なぜ体が反応しないのか。
反応しないことで、どう感じていたのか。

結局、「ゴジラ」のドルビーアトモスによる音響には、
「スタートレック イントゥ・ダークネス」、「アメイジング・スパイダーマン2」にあったものがなっかた。
それは、映画の音響としてのリアリティだと思う。

「スタートレック イントゥ・ダークネス」、「アメイジング・スパイダーマン2」もリアリティがあったからこそ、
臨場感があったように思える。
反対に臨場感があったからリアリティを感じていたのかもしれない。

どちらにしても絵空事の音と観客を冷静にさせてしまうような音ではなく、
何かを体験しに映画館に行った、というリアリティが、
「スタートレック イントゥ・ダークネス」、「アメイジング・スパイダーマン2」にはあったし、
「ゴジラ」には残念ながら、かなり稀薄だった。

私だけがそう感じたのか、とも思い、
私が観たTOHOシネマズ日本橋で、「アメイジング・スパイダーマン2」と「ゴジラ」を観た人にきいてみた。
私と同じ感想だった。

そして「ゴジラ」本編が始まる前のドルビーアトモスのデモ・ムービーの出来が良すぎた、ということも、
私とまったく同じだった。

このリアリティの稀薄さをもっとも嘆きたくなるのがゴジラの咆哮だ。

Date: 8月 6th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その37)

それだけではない。
確かに瀬川先生は多くの総テストに参加されていた。
けれど、一年を俯瞰していくと、1977年はプリメインアンプとスピーカーシステムの総テスト、
1978年はモニタースピーカーとアナログプレーヤーである。

1977年のプリメインアンプとスピーカーシステムの、めぼしい製品についての瀬川先生の評価はわかる。
だがセパレートアンプ、アナログプレーヤーに関してはそうではない。

つまり一年を総括する特集として、ベストバイはあった。

43号と47号のベストバイの特集のあいだには、スピーカーシステムとモニタースピーカーの総テストがある。
アンプに関しても、アナログプレーヤー関してもテストは行なわれていない。

その一年のあいだに、アンプ、アナログプレーヤーの新製品が出ていないのであれば何もいうことはないのだが、
実際はそんなことは絶対になく、多くのプリメインアンプの新製品、コントロールアンプの新製品、
パワーアンプの新製品、アナログプレーヤー、カートリッジなどの新製品が登場している。

これらについての瀬川先生の評価を知るためにもベストバイの意味は、当時は大きかった。
その大きさは、私がまだ読者だったからこそ、そう感じていたともいえる。

私は瀬川先生の熱心な読者であったから、特に瀬川先生の評価を読みたかった、
できればすべての機種についての評価を書いてほしかったわけだが、
人は違えば、瀬川冬樹ではなく井上卓也だったり岡俊雄だったり菅野沖彦だったりすることだろう。

Date: 8月 6th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その36)

41号からステレオサウンドを買いはじめた。
そんな私にとってはじめてのベストバイの号は、三冊目の43号。
このときはまだ、読者にとってのベストバイ特集号の意味がわかっていなかった。

仮に43号で51号のやり方でベストバイの特集が組まれていたら、
それはそれで面白いとよんだかもしれない。

けれど51号を手にする時には、ステレオサウンドを読みはじめて二年半、10冊を読んでいたわけだから、
43号を手にした時とは違っていて当然である。

読者とは勝手である。
少なくとも私はそういう読者だった。

41号から51号までのステレオサウンドの総テスト、
42号でプリメインアンプ、44号と45号でスピーカーシステム、46号でモニタースピーカー、
48号でアナログプレーヤーの総テストを行っている。
瀬川先生はいずれにも参加されている(48号は冒頭のブラインドフォールドテストのみだったけど)。

こうやって何冊ものステレオサウンドを読んでいくうちに、
ここはこうあってほしい、そうなてくれればもっと面白くなるのに……、と思うようになってくる。

私の場合、総テストすべてに瀬川先生が参加されればいいのに……、と思うようになっていた。
かなりの総テストの試聴メンバーであった瀬川先生だけれど、52号と53号のアンプのテストはそうではなかった。

それに新製品紹介のページに扱われた製品が、総テストに必ずしも出てくるとは限らなかった。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その35)

私がつまらないベストバイ特集号と感じていた51号、55号が売り切れて、
ベストバイということについて51号、55号よりも真剣に考え捉えていた47号が、
58号が出た時点で売れ残っている、ということにも少々驚いていた。

ちなみに51号の表紙はアルテックの604-8H、
55号はJBLのウーファーLE14Aである。

604-8Hは黒いコーン紙だが、LE14Aは白いコーン紙。
いまふり返ってみると、特集としてのベストバイの出来よりも、
表紙が何かのほうが売行きに大きく関係していたようにも思えてしまう。

それほど51号と55号のベストバイは、編集という仕事をまったく理解していなかった、
その頃私には手抜きのようにも感じられた。

59号もこのままいくのか、と思っていたら、また変った。
43号、47号には及ばないものの、51号、55号よりも良くなった、と感じたけれど、
59号のやり方を51号でやっていたら、おそらくがっかりしたであろう。

51号、55号のベストバイは、私以外の人も不満に感じていたのかもしれない。
だから59号で軌道修正した、とも考えられる。
そして、この59号でのやり方が、基本的にいまも続いているベストバイの始まりでもある。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その34)

ステレオサウンド 43号から47号への変化で感じた不満は、
47号から51号への変化に対する不満とくらべると、ずっと小さい。

43号、47号、51号と毎年6月発売の号でベストバイを特集したということは、
これから先も毎年ベストバイを特集していくということは、
ステレオサウンドを読みはじめて二年半ほどの読者にもわかる。

51号のやり方で55号もやるのか、と思っていた。
55号も51号と同じだった。
ただ55号は第二特集として、「ハイクォリティ・プレーやシステムの実力診断」という、
瀬川先生、山中先生によるアナログプレーヤー13機種の試聴記事があった。

それに55号は、巻頭のスーパーマニアに五味先生が登場されている。
追悼としてのものだった。

五味先生の死はショックだった。
もうこれから先、五味先生の文章が読めない。
続・五味オーディオ巡礼が終ってしまった……。

続・五味オーディオ巡礼は、47号から始まっていた。
47号のベストバイと55号のベストバイ、
続・五味オーディオ巡礼がもう読めないこと、など、
55号は複雑な気持で読んでいた。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その33)

ステレオサウンド 58号(1981年3月発行)の巻末に、
ステレオサウンドのバックナンバー紹介のページがある。
そこにはその時点で購入できるバックナンバーの表紙と簡単な内容が載っている。

この時点でバックナンバーが購入可能だったのは、47号、48号、49号、53号、56号、57号である。
この中で47号と48号がアナログプレーヤー関連の表紙だ。

47号から58号までに51号と55号がベストバイを特集している。
この二冊は売り切れているわけだ。

このころは読者だったから、
アナログプレーヤーを表紙にした号は売行きが悪い、というジンクスめいたことは知らなかった。
だから、よけいに58号のバックナンバー紹介のページを見て、
47号が売れ残っていて、51号と55号が売り切れていたのか、不思議に思っていた。

51号からベストバイは、また変った。
47号からの点数付けはここでも採用されているが、
誰がどの機種に何点いれたのかわからなくなっている。
それに選定機種についても、47号までとは大きく変っていた。

たとえばスピーカーシステムに関しては菅野先生ひとりが書かれている。
アンプに関しては上杉先生ひとり、というふうにである。

私は、ベストバイという特集が、急につまらなく感じてしまった。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その32)

ステレオサウンド 43号から47号への変化を、不満に感じてもいた。
43号のやり方のままでいいじゃないか、なぜ変えるのか、と思っていた。
それでも47号では43号のベストバイにはなかったやり方もあった。

まず特集の巻頭には、瀬川先生による「’78ベストバイ・コンポーネントを選ぶにあたって」という、
10ページ、約三千字の文章があった。

それから黒田先生によるテクニクスのコンサイスコンポについて書かれた文章、
約一万字の「ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」があり、
架空の質問に対して、各選者が答えるページ「読者の質問に沿って目的別のベストバイを選ぶ」もあった。

これらの記事は、目的に応じたベストバイ選びということだった。
それにこのころのベストバイでは、各選者の「ベストバイ・コンポーネントを選ぶにあたって」もあった。

47号のベストバイに不満は感じながらも、満足して読んでいた。
それに47号は表紙もよかった。

SMEの3009 SeriesIIIにシュアーのV15 TypeIVを取り付けて、
ヘッドシェルとカートリッジのアップ。
当時高校生だった私は、これを模写したことがある。

V15 TypeIVのボディの質感、3009 SeriesIIIのシェル、アームパイプの質感はうまく描けなかったけれど、
定規と分度器を使いながら、輪郭だけはしっかりと描いていた。

でも47号はあまり売れなかったのかもしれない。
表紙がアナログプレーヤー関連だったから。

Date: 8月 4th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスク考(その10)

黒田先生がステレオサウンド 44号、45号で試みられた試聴記は、
試聴記の前に7ページにわたる「スピーカー泣かせのレコード10マイの50のチェックポイントグラフ」がある。

この7ページ(扉を入れると8ページ)があるからこそ、即物的な言葉での試聴記が成り立っている。
それに、もし44号、45号でのスピーカーシステムの試聴を黒田先生ひとりだとしたら、
おそらく、こういう試聴記にはされなかったのではないか。

44号、45号での試聴は黒田先生の他に岡先生、瀬川先生も試聴記を書かれている。
試聴は岡先生と黒田先生が一緒に、瀬川先生はひとりで行なわれている。

黒田先生にとって、ここでの岡俊雄、瀬川冬樹は、
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」で鼎談のメンバーでもある。

このころの黒田先生と瀬川先生のレコード音楽に対しての聴き方・接し方に違いはあっても、
信頼関係があったはずだ。

それらがあっての、44号、45号での、あの試聴記であるということを忘れてはならないし、
これらを抜きにして、似たような試聴記といっしょにするわけにもいかない。

このことがわからない人が、このディスクのこの部分がこう鳴った、という、
いわば印象記にすぎない、もっといえば試聴メモの写し書きを、具体的な試聴記とありがたがっている──、
私にはそう見えてしまう。

Date: 8月 3rd, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その31)

ステレオサウンド 43号の表紙はセレッションのスピーカーシステムUL6とAGIのコントロールアンプ511。
UL6のウーファーも、31号、35号のJBL同様に白いコーンである。

43号の特集ベストバイでは、(その25)で書いているように、
ひとりしか票が入らなかった機種以外は、すべてに選者のコメント(140字程度)がついていた。

140字は400字詰め原稿用紙の半分にも満たない。
つまり短い。
それでも読み応えを感じていた。
だからこそ夢中になって43号を読んだ。

いまのやり方になってからのステレオサウンドのベストバイは、もう夢中になって読めない。
なぜなのか。
とにかく読み応えを感じない、ということがまず第一にある。

43号の次のベストバイの特集号であった47号。
ここでは一機種あたりのコメントは40字程度しかない。
誌面ではわずか一行。
それでも、いまのステレオサウンドのベストバイよりも読み応えを感じていた。

それはなぜかというと、コメントを書いている人がひとりではないからだ。
ステレオサウンドのベストバイは51号から変っていった。

あるスピーカーシステムをベストバイに選んだ人が五人いたとしても、
コメントを書くのはひとりになってしまった。

47号までは五人が選んだ機種は五人のコメントが読めた。
この違いは、文字数の違いよりもずっと大きい要素である。

Date: 8月 3rd, 2014
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その2)

なぜMC275を名器だと捉えるのだろうか。

名器とは、すぐれた器物・楽器。有名な器物・楽器、と辞書には書いてある。
つまりは何も古いモノでなくとも、現代のモノであっても、
すぐれた器物、有名な器物であれば、名器といえるわけだ。

けれどオーディオの世界においては、名器はほとんどの場合、過去の製品につけられる。
現行製品で非常に優れたモノがあったとしても、名器と呼ぶことは少ない。

私自身も、感覚的に名器ということになると、現在の製品に対して使うことはまずない。
ほぼすべて過去の製品に対して、のみである。

現行製品に対して名器を使っている例を、目にしないわけではないし、
使い方としては間違っているとはいえないのだが、どこか異和感がある。

これもおかしなことといえる。
過去の製品、その中でも名器と呼ばれる製品は、
その後のオーディオの発展のきっかけ、もしくは原動力となったモノなのはわかっている。
けれど、やはり過去の製品であることには変わりない。

10年前、20年前、30年前……、もっと古いオーディオ機器の中にも、いまだ名器とされるモノがある。

Date: 8月 2nd, 2014
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その11)

カウンターポイントのチューナー開発は結局は形となることはなかった。
どこまで話が進んだのかは知らない。

ただ長島先生が強い関心を示されていた、ということは、乗り気であった、ということでもある。
おそらく長島先生の頭の中には、チューナーとしてのあるべき構成、アイディアがなにかしらあったのだろう。
それは内部に関することだけではなかったはずだ。

長島先生はデザイナーではないけれど、
コントロールアンプ、チューナーといった、使い手が直接触れる機器のインターフェースに関しては、
長島達夫としての考えをお持ちだった、と私は感じていた。

このころの私は、いまのようにチューナーに対して、チューナーのデザインに関しては、
ほとんど興味・関心がなかった。
いまだったら、長島先生がチューナーのインターフェイスをどういうふうに考えられていたのかを、
あれこれきいた、と思う。

そういえばステレオサウンドにいたころも、チューナーの話はほとんど記憶がない。
話題になることがあっただろうか。

もし私が10年早く生れていて10年早くステレオサウンドで働くようになっていたら、
チューナーについての話をいろいろきくことができただろう。

でもそんなことをいってもどうにもできないわけだから、
チューナーの写真をとにかく見ている。
チューナーの写真だけではない、レシーバーもまたチューナーであるからだ。

そうなるとB&Oのレシーバーであり、
Beomaster6000ということになる。

Beomaster6000といっても、1980年代のBeomaster6000ではなく、
1975年ごろの4チャンネル・レシーバーのBeomaster6000のことだ。

Date: 8月 2nd, 2014
Cate: 再生音

ゴジラとオーディオ(咆哮)

ゴジラといえば雄叫びである。
雄叫びは咆哮であり、なにかを切り裂くようにゴジラは叫ぶ。

ゴジラの咆哮は、一瞬のタメの後に発せられる。
だからこそ何かを切り裂けるのではないだろうか。

歪なく大きな音で鳴っても、それだけで咆哮にはならない。

Date: 8月 1st, 2014
Cate: audio wednesday

第43回audio sharing例会のお知らせ(ゴジラとオーディオについて、思いつくままに)

今月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

テーマは、私の頭の中をいま大きく占めているのは、やはりゴジラ。
映画の中でのゴジラの進歩と再生音の進歩、
Ampzillaというパワーアンプがあったこと、
特殊撮影のアラが見えていても、あえてだまされて楽しむ、
と同時に想像では理想のシーン勝手に描いていること、
ゴジラを存在するものとしてではなく、現象として捉えることは、
再生音を存在するものとしてではなく、現象として捉えることに共通していること……。

レコードの音の世界は、ある種特殊撮影的な面もあるようにも思えてくる。
というわけで、今回のテーマはゴジラとオーディオについて、思いつくままに話そうかと考えている。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。