2011年ショウ雑感(その8)
つづいて登場するのは、マッキントッシュのMC3500だ。
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さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りになってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
どちらを好むかは、絵の筆法の差によることで、各人の好みにまつほかはあるまい。ただ私の家の広さ、スピーカー・エンクロージァには無用の長物としか言いようのない音だった。自動車にたとえるなら、MC三五〇〇はちょうどレーサーのマシンに似ている。時速三百キロぐらいは出る。だからといって、制限速度はせいぜい百キロ前後のハイウェイや都市を、それで快適に走れるとは限らぬだろう。ハイウェイをとばすにしても、座席のゆったりした、クーラーでもほどよくきいた高級セダンのほうが乗心地はらくだ。そんなような感じがした。
別のエンクロージァで、大邸宅にでも暮らして聴くなら別である。タンノイ・オートグラフが手ごろな私の書斎では、アメリカ人好みのいかにも物量に物を言わせた三五〇ワットは、ふさわしくなかったし、知人に試聴してもらっても、その誰もが音はMC二七五のほうがよい、と言った。
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ノイマンのV69について書かれたところに出てくる奈良のN氏は、
ステレオサウンド 47号から再開になった「オーディオ巡礼」に登場する南口氏のことである。
そこで、パッと「五味オーディオ教室」のなかの、この文章に結びつけば、この項の(その6)で引用した
「マランツをマークレビンソンにかえねば出せないような音など、レコードには刻まれていない」
「レコードの特性ではなく音楽を再生する上でマランツ7はもう十分すぎるプリアンプだ」を読んで、
素直に首肯けたことだろう。
でも、当時15の私には、少し無理だった……。