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Date: 1月 15th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(続・余談)

コーネッタのホーンは全長127mm。
このホーンの長さのコーネッタが、ステレオサウンド 38号に載っているモノ。

実際にSSL1という型番で市販されたコーネッタでは、
エンクロージュアの構造との兼ね合いもあり、約110mmに変更されている。

コーネッタの設計段階で、ホーンの検討のために試作されたのは、
カットオフ周波数200Hz全長762mmのコニカルホーンで、
これをベースに全長を1/2、1/4、1/8、1/16と短縮して測定されている。
その実測データはステレオサウンド 38号に載っている。

127mmは、762mmの1/6の長さである。

コーネッタのフロントホーンは、短い。
まさしくフロントショートホーンである。

それにユニットの前面をいったん絞っているわけではない。
いわゆるコンプレッションドライバーとホーンの組合せとは、ここが大きく違う。

そして38号には、フロントショートホーンの有無による周波数特性の変化を示すグラフが載っている。
これをみれば、100Hzから1.5kHzにかけてホーンによる音圧が上昇している。
100Hzあたりでは上昇はわずかだが、もっとも上昇している周波数において、約5dBの差がついている。

ようするに音圧がこれだけ上昇すればその分アンプの出力は小さくてすむ。
同じ音量を得る場合にも、フロントショートホーンがついていれば、パワーは小さくていい。
それはコーン(振動板)の振幅が小さいということである。

Date: 1月 15th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(余談)

この項で書いているコーネッタはフロントショートホーン付のエンクロージュアである。

ホーンがついているからホーンロードがユニットにかかる。
そのためエッジを傷める──、
今回、この項を書いていて、そういう説が世の中にあることを知った。

これと同じことで思い出したことがある。

遠くの人を呼ぶ時に両手を口の周りにもってきてメガホンのようにする。
こうするとホーンロードが喉に負担を与えて、こうやって話しつづけると喉が痛くなるでしょう、
というものがある。

いかにももっともそうな理屈で、意外にもこれに納得している人がいるようだが、
ほんとうにそうなのだろうか。

遠くの人を呼ぶ時には両手でメガホンをつくるだけでなく、大きな声をだしている。
喉を痛めるのは、ホーンロードによる喉の負担が増して、ではなく、大きな声を出しているからではないのか。

手でメガホンをつくって、ふつうの大きさの声で話す、としよう。
メガホンがあることで音(声)が周囲に広がってしまうのはなくなる分だけ、
聞き手に届く声は大きくなっている。
相手に同じ音の大きさで声を届けるのであれば、メガホンなしよりも小さな声ですむ。

これはホーンがついているスピーカーでも同じことである。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(続々・番外)

瀬川先生のModel 7は井上先生のところに行っている。
そのことは井上先生から直接きいていたし、
管球王国のVol.1にもはっきりと書かれている。

ステレオサウンド 38号に載った瀬川先生のリスニングルームの写真をみると、マランツ Model 7が写っている。
ただし一台だけである。
JBLのSG520は二台写っている。

38号の他にも、いくつかの瀬川先生のリスニングルームの写真をみても、
マランツのModel 7が二台写っているものは見つけられなかった。

瀬川先生はModel 7を二台以上所有されていたのだろうか。

こんなことを書くのは、以前、あるオーディオ店から瀬川先生が使われていたModel 7を買った、
という話を読んでいるからだ。
そのときは、井上先生のことを忘れてしまっていた。

いまは違う。
瀬川先生のModel 7を一台だけであったならば、
そのオーディオ店が売ったModel 7は誰が使っていたのか、ということになる。

二台所有されていた可能性がないわけではないし、
井上先生にはステレオサウンド 38号以前に譲られていたことだって考えられるから、
そのModel 7についてははっきりとしたことは、まだいえない。

とにかく、あの人が使っていた、というモノには怪しいものがあることは確かである。
私は、この手のモノはまったく信用しないわけではないが、疑ってかかるほうである。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(続・番外)

facebookをみていたら、インターネットのオークションにあるオーディオ機器が出品されていて、
その製品説明に、あるオーディオ評論家が使っていたもの、と書いてある。

そこにははっきりと誰とは書いてなく、イニシャルだけだった。
それでもながくオーディオをやってきた人であれば、すぐにあの人だとわかる。

オーディオ店でもそうだが、ときどきこうやって、
オーディオ界で名の知られた人が使っていたモノが出てくる。

売る方としては、オーディオ評論家の名前を出すことで高く売りたいわけだ。
買う方としては、あの人が使っていたモノであれば、という思い入れがあって、手を出す。

ほんとうに、そこで名前の出ている人が使っていたモノであれば、
他の人にはそのことはなんら価値がなくても、
ある特定の人には、そのことがなによりもうれしいことであるから、まわりがそのことにあれこれいうことでもない。

でも、世の中にこれまで出廻った、そういうオーディオ機器のうちに、
ほんとうにそうだったモノはどれだけあるのだろうか。
ほとんどの場合が、なんらかの保証があるわけではない。

昨日伺ったオーディオマニアのところで、管球王国のVol.1を見ていた。
それで、あっそうだった、と思い出したことがある。
瀬川先生のマランツのModel 7のことだ。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(番外)

昔欲しかったオーディオ機器は、誰にでもあろう。
予算が足りずに買えなかった……、
買いにいったらすでに誰かに買われていた……、
すでに製造中止になっていた……、
などの理由であきらめたモノを、どうしても欲しいというおもいを捨て切れずに、
ずっとあとになって手に入れることがある。

となると中古品ということになる。
思い入れのあるモノだけに、程度のいいモノを手に入れたいと誰もがおもう。
だが、なかなか程度のいいモノがうまいぐあいに目の前にあらわれてくれるとは限らない。

それに一見程度の良さそうに見えるモノでも、
自分のリスニングルームに持ち帰ってみるとそうではなかった、ということだってある。

中古品の入手にはいくつかの方法がある。
中古品を扱っているオーディオ店からの購入。
友人・知人からの購入。いまならインターネットのオークションでの購入もある。

友人・知人から譲ってもらうのであれば、誰が使っていたのかがわかる。
それ以外の入手だと、どんな人が使っていたのかはまったくか、ほとんどわからない。

わからないほうがいいことだってある。
知っていることがいいこともある。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: 再生音

続・聴きたいのは……

フルトヴェングラーがいっている。
《感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ。》と。

五味先生が、音の肉体にあれほどこだわられた、その理由は、
このフルトヴェングラーの言葉が語っている。

そういうことだとおもう。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その2)

もともと能率の高いドライバーとホーンの組合せ。
その中でも2441は能率の高いドライバーのひとつであり、
さらにダブルで使うことで能率はさらに増す。

いったいそこまでの能率が家庭で、しかもそう広くない空間で鳴らすのに必要なのか。

それだけではないどんなに精密につくられていようと、
シリアルナンバーが連番であろうと、
スピーカーというメカニズムはまったく同じモノを作ることの難しさは、
実際に同じ製品をいくつか集めて比較試聴してみるとよくわかる。

連番だから、という期待はしないほうがいい。

そういうモノだからふたつのドライバーを同時に鳴らすことは、
メリットもあるけれどデメリットもある。

広いコンサート会場で使うのであれば、デメリットよりもメリットの方が大きくても、
家庭で常識的な音量で鳴らすのであれば、メリットよりもデメリットのほうが大きいのかもしれない。

そんなことは指摘されなくてもわかっている。

でも目の前に2441を二発取り付けた2397とのカタチをみていると、
いつからオーディオは、コマゴマとした理屈をいうようになってきたのだろうか、と思う。

(理屈なんて)どうでもいいじゃないか、このカタチ(姿)を見てみろよ、
と2441(二発)と2397と言っているような気がしてくる。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その1)

JBLのコンプレッションドライバー2441は17.8φ×D13.6cmで、重量は11.3kg。
実際に手に持ってみると、指がひっかかるところがほとんどないため、
11.3kgよりもずっと重たく感じる。
黒くて重い鉄のかたまりともいえる。

これと組み合わせているディフラクションホーン2397は、
扇状の形をしていてW66.0×H9.5×34.0Dcm、重量は、JBLには珍しい木製ということもあって4.4kg。

写真でみるよりも実際にふたつ合わせた重量と、その重量のアンバランスさを実感してみると、
余計に、このふたつの組合せからなる形がユーモラスな雰囲気もある。

大型の金属製のマルチセルラホーンとの組合せより、
2397と大型ドライバーの組合せは、趣味のモノとしてみれば、実にいいカタチをしている、と思う。

これは理屈ではない。
オーディオが男の趣味として、オーディオ機器が存在していると感じさせる。

今日、試しに2397にスロートアダプター2329を利用して、2441をダブルで取り付けてみた。
2441は二個しかないから、ステレオ用として音を出すためではなく、
2397+2441×2の実物を見て、それを手にとり実感したい、と思ってやってみた。

2397に2441を二発取り付けてある写真はステレオサウンドのバックナンバーにも載っている。
どんな感じになるのかはだいたいはわかっていた。

それでも実際に取り付け作業を一人でやっていると、
ずしっとした重量が、なんともたのもしいと思えてくる。

11.3kgがふたつで22.6kg。2397の4.4kgがそれに加わり、
2329の重量(2kg以上はあるだろう)を合計すると30kg近くなる。

しかも重量バランスのアンバランスさは、さらに増す。
ユーモラスな印象も増してくる。全体の、モノとしての迫力はもっと増している。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: background...

background…(その3)

ポール・モーリアの「恋はみず色」を初めて聴いているのだとしたら、
聴いている途中で電話がかかってきたり、宅急便が届いたりすることは、いわば邪魔といえる。

「恋はみず色」を、その時初めて聴いている聴き手は、
邪魔がはいればそこで、いま鳴っている「恋はみず色」を止め、用事をすませた後で、
スピーカーの前に座り直して、聴きつづけることだろう。

その際に、中断したところから聴きはじめるのか、それとも頭から聴き直すのか。

ポール・モーリアの「恋はみず色」を家庭で聴くときは、
レコードに頼るかラジオから流れてくるのかのどちらかである。

ラジオの場合、自分の好きな時に聴けるわけではないし、
次にいつ放送されるのかもわからないから、
「恋はみず色」をすでに聴いたことのある聴き手であっても、
ラジオからの「恋はみず色」に、いいメロディだな、と思っていた時に、
電話、宅急便がそこに割りこんできたら、邪魔だと感じるのか。

レコード(アナログディスク、CD、カセットテープなど)で聴いていれば、
電話、宅急便が割りこんできても、もう一度、というより何度でも、
「恋はみず色」のレコードを手放さないかぎり、いつでも聴くことができるわけで、
だからこそ、電話、宅急便などの割り込みがあったとしても、
その間、「恋はみず色」を流しぱなしにするとはいえないだろうか。

レコードで「恋はみず色」を聴く場合でも、
初めて聴くときと、二度目以降に聴くときとでは、
電話、宅急便などの割り込みに対する感情も変っていくのだろうか。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その22)

こんなふうにコーネッタのことを書いていくのは、思っていた以上に楽しい。
そしてタンノイが、いまコーネッタを作ってくれないかな、とも思ったりする。

アルニコ磁石の10インチの同軸型ユニットを搭載して、
いまの時代コーナー型というだけで拒否反応が出るかもしれないから、
オートグラフがウェストミンスターになり、
コーナー型からレクタンギュラー型に変更されたように、
コーネッタもレクタンギュラー型になってもいいと思う。

ただしフロントショートホーンだけは絶対に譲れないけれど。

あと鍵付のサランネットは無しにしてほしい。

でもタンノイがコーネッタを作ってくれることは、可能性としてはまったくゼロに近い。
ならば以前のようにスピーカーユニットを単売してくれないだろうか。

ユニットが手に入れば、コーネッタを現代に甦らせることはそれほど大変なことではない。

こんなことも夢想しながら、なぜこんなにもコーネッタのことが、いまも気になっているのだろうか。
その理由も書きながら考えていた。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 純度

純度と熟度(その3)

あるオーディオマニアが自分のためのアンプをつくる。
それが仲間内で、音がいい、と話題になり、
メーカーを興したらどうか、ということになり、オーディオメーカーをつくった。

こんな話が、以前はよくあった。
1970年代だけに限らない。

マランツにしても、最初はこれと似たようなところからのスタートである。

まわりにいるオーディオの仲間というのは、
どんなに多くの人がそこにいようとも、
実際に会社を興し市場に乗り出すことに比べれば、圧倒的に小人数でしかない。
それは小さな世界での評価であり、
それがいきなり大きな世界に参入するということは、
どんなに仲間内で評価が高くとも、必ずしも成功するとは(高い評価をえるとは)いえないし、
仲間内での評価よりもずっと高い評価を得ることだってある。

自国ではそれほどではなくとも、他の国では高く評価されることだってあり得る。

自分が欲しいと思うアンプ、自分が理想と考えるアンプ、
とにかくそういうアンプを製品化することで世に問うわけで、
評価とともに、仲間内では得られなかった指摘もフィードバックされる。

仲間内とは、往々にして好みの合う人たちの集団であったりするのだから、
そこでの音の評価は多少の違いはあっても、大筋では一致していても不思議ではない。

だからそこでの評価にどっぷりと浸ってしまうのか、
そこから抜け出して、広い世界からの評価に飛び込んでいくのか。
それをどう受けとめ、どう次の製品にいかしていくのか。

それによって、「音」が変っていく。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 純度

純度と熟度(その2)

ガレージメーカーという言い方がある。
オーディオでは、1970年代ごろから盛んに使われるようになってきた。

この時代、アメリカでは、アンプメーカーを中心として、
ガレージメーカーというしかない規模のオーディオメーカーがいくつも誕生していった。

マークレビンソンのそのひとつであり、GAS、AGI、DBシステムズ、クレル、スレッショルド、
カウンターポイント、コンラッド・ジョンソン、ビバリッジ、スペイティアルなどがある。
思いつくまま書き並べていって、すくにこれだけ出てくるし、
あまりブランドだけを書いていってもあまりここでは意味がないのでこのへんにしておくが、
雨後の筍といえるほど、多くのガレージメーカーが生れ、消えていったメーカーも多い。

このころよく引き合いに出されていたのが、マークレビンソンの成功であり、
マークレビンソンに刺戟されて、というメーカーも実際にあったようだ。

マーク・レヴィンソンというひとりの男(オーディオマニア)が、
自分のつくりたいアンプをつくり、世に問い成功した。
ならば、同じように自分のつくりたいアンプをつくり世に問う人が、レヴィンソンに続いた。

1970年代のオーディオは、ベンチャー企業でもあった。
だから企業した人すべてがオーディオマニアだったのかどうかは断言できない。
電子工学を学び、とにかく成功したい、ということでオーディオのメーカーを興した人がいても不思議ではない。

でも多くのガレージメーカーの主宰者(創業者)は、オーディオマニアだった、と私は思っている。

Date: 1月 9th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その6)

だが、まだビリー・ホリデイのLady Dayはかけずに(かけられずに)いる。
理由は特にない。
ただ、まだ鳴らすには早いような気がしているだけだ。

Date: 1月 9th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その21)

何もコーネッタとほぼ同時代のアンプにこだわっているわけではない。
いいアンプであれば時代は問わない。
にも関わらず、私の中ではコーネッタを鳴らすアンプとして、
トランジスターならスチューダーのA68、真空管ならマイケルソン&オースチンのTVA1が、まずある。

ではコントロールアンプはなんなのか。
スチューダーは業務用ということもあってコントロールアンプはない。
TVA1には一応あることにあるけれど、クォリティ的にTVA1と合わない。

瀬川先生は「コンポーネントステレオの世界 ’77」ではマークレビンソンのLNP2を、
A68と組み合わされているわけだし、LNP2とA68、確かにいい組合せとも思う。

TVA1には瀬川先生はアキュフェーズのC240をもってこられている。
これもいい組合せだし、どちらがいい組合せということも決めるようなものではない。

ただLNP2は、ここでの組合せにはやや高すぎる。
A68の、ほぼ倍の価格である。
となると、C240とA68の組合せはどうだろうか。
合うような、うまくいかなそうな、なんともいえないけれど、候補としては残しておきたい。

LNP2が高すぎるから、といって候補から外しておきながら、
コーネッタの価格からすれば、C240とTVA1、C240とA68にしても、
アンプにシステム全体からすれば重きをおきすぎている。

このふたつのアンプの組合せを高すぎるとしたら、
いっそのことプリメインアンプでまとめたほうがいい気もする。

──こんなふうにコーネッタの組合せを、頭の中で組み立てている。
人はどうなのかわからないけれど、私は組合せをあれこれ考えていくのを楽しみとしている。

オーディオ機器の中には、こうやってこちら側の想像を逞しくしてくれるモノが、
いつの時代にも存在している。

Date: 1月 8th, 2014
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その14)

ラックスのSQ301の写真は、もしかすると以前もみていたと思う。
こんな曖昧な書き方をするのも、数年前に見た写真のインパクトが大きかったからである。

私が、「これは瀬川先生のデザインだ」とほぼ瞬間的におもってしまったSQ301の写真とは、
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」シリーズのラックス号において、である。

カラーグラビアページがある。
「思い出のラックス製品」というページだ。
扉には昭和10年に発売されたテスター、LUX-2005が載っている。
次の見開きにはトランス、ロータリースイッチ、ノブなどのパーツが並んでいる。
その次の見開きには、ピックアップ、マイクロフォン、ホーンが、
その後の見開きには、ラジオ受信機LUX-667、アンプLUX-753が出てくる。

このあたりからアンプメーカーとしてのラックスの製品が登場してくる。
さらに見開きは続いて、KMR5とKMV6、MA7Aのページ、
SQ5B、SQ38D、SQ77、SQ11といったプリメインアンプが、
30H112、S2 Miniといったスピーカーシステムをバックにしたページがあり、
その次の見開きにSQ301が登場する。

この見開きはSQ301の上にSQ77Tを、少し角度をつけた写真が載っている。

この写真こそが、私が「瀬川先生のデザインだ」とおもってしまった写真である。

この記事の写真は、おそらく亀井良雄氏の撮影のはずだ。