Archive for category ブランド/オーディオ機器

Mark Levinsonというブランドの特異性(余談・続々825Ω)

プレーヤーのキャビネットの上に、指で弾くと、ガチャガチャと安っぽい雑共振の音がするもの、
たとえばカセットテープのケースやCDのプラスチックケースなどを置いてみる。
きちんと調整がなされているアナログプレーヤーであれば、
置いた途端に、音の品位が損なわれるのが、はっきりとわかる。

プレーヤーのキャビネット、ベース上に、便利だからといって、針先のクリーナーや針圧計、
その他、アクセサリー類を置きっぱなしにしているのであれば、まずそれを片付けてみる。
つまり別のところに移動する。
これだけで、すっきりと、細部まで、ローレベルまで、見通しのいい音になる。

トーンアームは共振物である。

すこし以前のものだが、ラックスのPD444、トーレスンのTD226やリファレンスなどは、
トーンアームを複数取りつけが可能だ。
これらのプレーヤーで試してみると、トーンアームが1本余分についていることが、
どれだけ音を濁しているのか、はっきりとわかる。

気にいっているカートリッジを、すこしでもよい状態で鳴らすために、
専用のトーンアームを、それぞれに用意したことが、結果として影響を与えてしまう。

それでもトーンアームを2本使いたいとき、つまりカートリッジを交換しながらも、
できるかぎり調整して追い込んだ音で聴きたいときには、どうすればいいのか。

プレーヤーを2台用意できれば、それに越したことはないが、
そう簡単にできることでもない。

あとはオーディオクラフトのAC3000 (4000) MCのように、アームパイプが複数用意され、
カートリッジのコンプライアンスによって交換できるモノを使う手もある。
これでも交換のたびに調整の手間は必要となる。
もうひとつ、トーンアーム1本の時の音を聴かないことだ。

一度でも聴いてしまうと、耳が憶えてしまい、求めてしまう。
だから、あえて聴かない。
聴かないことも、時には、重要となることがある。

Date: 4月 6th, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その45)

4350は「この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬」であり、
「いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。
250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。
また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする」スピーカーであると、
瀬川先生は書かれている。

けれどマークレビンソンのML2Lのブリッジ接続で鳴らす4350の低音は、一変する。

「低域の締りの良いことはちょっと例えようのない素晴らしさだ。
ブリッジ接続による十分に余裕ある大出力と、
4350をふつうに鳴らした低音を聴き馴れた人にはウソのように思えるおそろしく引き締った、
しかし実体感の豊かなというより、もはやナマの楽器の実体感を越えさえする、
緻密で質の高い低音は、これ以外のアンプではちょっと考えられない。」

このころ、ステレオサウンドの記事でも、4343を、ほぼ同じ構成で鳴らされている。
場所は、瀬川先生の、新居のリスニングルーム。

スピーカーが4350から、瀬川先生が愛用されていた4343に変わった以外は、
チャンネルデバイダーのLNC2Lが、JC1ACと同じく、2台用意して、
片チャンネルを遊ばせてのモノーラルでの使用である。

プレーヤーもマイクロの糸ドライブと同じだが、記憶では、ステレオサウンドの記事では、
トリオから発売されていた、セラミック製のターンテーブルシートを併用されていたはずだ。

4350、4343をML2L、6台で鳴らされた経験のあとに、ベストバイ特集のステレオサウンド 55号が出ている。
瀬川先生は、パワーアンプのマイベスト3に、ML2Lを選ばれていない。

Mark Levinsonというブランドの特異性(余談・続825Ω)

当時、オーディオクラフト、サエクからは、
MM型カートリッジ用は低容量のシールド線、MC型カートリッジ用は低抵抗のシールド線という具合に、
トーンアームの出力ケーブルがそれぞれ用意されていた。

シールド線の構造上、低抵抗を実現するために芯線を太くすると、シールド線との間隔が狭まり、
結果として線間容量は増す。
線間容量を減らすには、芯線とシールド線との間隔を広げることで、こんどは芯線が細くなり、抵抗値が増す。

もちろん芯線を太くして低抵抗を実現しながら、シールド線との間隔を広げれば、低容量も両立できる。
ただし線径はかなり太くなってしまい、ケーブルの取り回しが面倒になる。
それにコネクター部の処理もたいへんなことになる。
それからフローティングプレーヤーを使用していると、フローティング機能そのものの妨げにもなる。

ケーブルの太さにも限度がある以上、低抵抗と低容量を実現するのは、なかなか難しい。
このことは、つまり一本のトーンアームで、
カートリッジをMC型、MM型と頻繁に交換するうえでの問題点とも言える。

どんなに針圧、トーンアームの高さやその他の調整を、カートリッジ交換のたびにまめに調整したとしても、
トーンアームの出力ケーブルが、どちらかのタイプがついたままならば、
すべての苦労が無駄になる、とは言わないまでも、詰めの甘さが残ることとなる。

もっともカートリッジのコンプライアンスを考慮すると、
トーンアームの実効質量とのマッチングも必要となるため、
事実上は、一本のトーンアームでMC型、MM型のカートリッジを混用するのは避けるべきだ。

となると1台のプレーヤーに2本以上のトーンアームを取りつけて、
それぞれMC型、MM型用にするという手も、もちろんあるけれど、これはこれで別の問題が生じてくる。

Mark Levinsonというブランドの特異性(余談・825Ω)

「825Ωの復活か」──
エレクトリのサイトで公開されている
パス・ラボラトリーのフォノ・イコライザーアンプXP15の入力端子の拡大写真を見ていて、そんなことを思った。

1970年代、プログラムソースといえばアナログディスク(LP)だった時代、
コントロールアンプだけでなくプリメインアンプにも、フォノ入力の負荷抵抗を切替え機能が装備されていた。
MM型カートリッジの、メーカー推奨負荷抵抗値は、47kか50kΩ。
アンプ側も、標準の入力抵抗は47kか50kΩだが、この他に68k、75k、100kΩのポジションも用意されていた。
たいていは値が大きくなるだけだが、一部、25k、10kΩのポジションを持つアンプもあった。

標準の50k(47k)Ωよりも負荷抵抗値を上げていくと、カートリッジの高域特性のピークがより持ち上がる。
負荷抵抗を下げていくと、なだらかに高域が減衰していく。

また負荷容量を変えていくと、やはり高域特性に変化が見られる。
負荷抵抗を50kΩに固定して、負荷容量を増やしていくと、やはり高域のピークが大きくなるとともに、
ピークの中心周波数がわずかに低くなる。

トーンコントロール的な変化に近いが、たとえ同じような周波数特性になったとしても、
トーンコントロールで高域を上昇させた音と、
負荷抵抗を標準値よりも高くした音は、表面的な効果は似ていても、
カートリッジのピークは振動系のものだけに、音楽の細かな表情は,ずいぶんと違いが生じる。

だから負荷抵抗をあげて負荷容量も増すという使い方もあれば、
負荷抵抗だけを下げて、ということも試しながら、トーンコントロールとも併用してみる。
70年代のアンプでは、そういう使い方ができた。

さらに負荷容量に関しては、トーンアームの出力ケーブルがもつ線間容量も、負荷容量にプラスされる。
この部分のケーブルが長くなると、それだけ負荷容量は増していく。
1mのケーブルと2mのケーブルでは、同じ品種ならば、後者の線間容量は2倍の値になる。

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その44)

まっさらの新品の4350から、いきなり、まともなチェンバロの再生ができるわけがない、
そう思われる方もおられるだろう。
     ※
JBL#4350は、発表当初からみると、ずいぶん音の傾向が、以前よりよく揃っているし、バランスも向上している。
初期の製品は、中高域を受け持つホーンのエイジングが進むまでは、ホーンの中に多少の吸音材をつめ込んだりして、この帯域を抑えなくては少々やかましい感じがあったのだが、最近のWXAでは、そのままでほとんどバランスが整っていると思う。
     ※
スイングジャーナルの記事には、こう書かれている。
最新の4350AWXだからと、いうこともあろう。

けれど、これほどうまく鳴ったのは、まっさらの新品だから、であろう。

レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」(残念ながら一回だけで終ってしまった)の結びは,次のとおりだ。
     ※
あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
男、これを聞き早速、わが妻を吉原(ソープランド)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     ※
おそらくサンスイのショールームで鳴らされた4350は、いろんな人が鳴らされたのであろう。

愛情を込めて鳴らされた人もいれば、即物的に鳴らされたこともあるはず。
特定の人が、無理なく自然に鳴らしてきた4350ではない。

幾人もの手垢のついた4350が、スレてきていたとしても不思議ではない。
そういう4350だったら、瀬川先生も、ずいぶんと苦労されたであろう。

封を切ったばかりの4350だったからこそ、誰の手垢もついてないからこそ、
瀬川先生の鳴らしかたに、素直に反応してくれたのだろう、といったら、すこし擬人化しすぎだろうか。

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その43)

瀬川先生が取材で使われた4350は、まっさらの新品だった。

スピーカーの設置、ML2L、6台を、熱のこと、電源容量のことなどを考慮しながらの設置、
マイクロの糸ドライブ・プレーヤーの設置と調整、
トーンアームのAC-4000MCの基本的な調整、各アンプ間の結線と引き回しなど、
セッティングに30分ほど時間がかかり、瀬川先生は、いきなりチェンバロのレコードをかけられている。

サンスイのショールームで4350を鳴らされたときとは異り、
最初から驚くほどの音が出たと、Kさんから聞いている。

山ほどレコードを持参されており、ほとんどすべてのレコードをかけられたらしい。
ただ残念なことに、30年も前のことだから、Kさんも、記憶が曖昧とのこと。
なにかのきっかけがあれば、ふっと思い出すかもしれない、と言っていた。

聴きながら、さらに細かい調整(チューニング)で、4350の音を追い込まれていった。
スラントプレート(音響レンズ)を、上向きにしたり、標準の下向きに何度も変えてみたり。

食事に出かける時間がもったいなくて、それほどいい音が鳴り響いてきて、弁当で済ませたらしい。

試聴に立ち会う人によって、音が変わる、と瀬川先生は、はっきりと言われていたと聞いている。
だから、これだけ大掛かりにも関わらず、瀬川先生を含め、3人だけの試聴なのだ。

Date: 3月 31st, 2009
Cate: KEF, 現代スピーカー
2 msgs

現代スピーカー考(余談・その3)

節倹の精神に富んでいるといわれるイギリス人。
いまもそうなのか、それとも薄れつつあるのかはわからないが、
過去のイギリスのオーディオ機器を眺めてみると、確かに、と納得できる例がいくつもある。

節倹とは、悪く言えばケチ、しみったれと言えなくもない。
長く使えるものを買い手は選び、つくり手は、意を尽くし必要最小限のことしかせず、
そのことが長持ちすることへつながっているようにも感じられる。

KEFの303はプラスチック樹脂製のエンクロージュアに、素っ気無い仕上げを隠すように、
グリルで、ほぼ全面を覆っている。
合理的なローコスト化であり、バラツキの少ない材質選び、製品づくりでもあろう。

303は木や紙といった天然素材を、ほぼ全面的に排除している。
バラツキの少なさはローコスト化につながるだけでなく、
そのための工夫は、結果として長持ちすることになっているように、
昨日、ひさしぶりに、303を見て、聴いて、そう思った。

KEFの303は、124000円(ペア、1980年当時)と同社の製品、輸入品としては低価格のスピーカーなのだが、
オーディオに関心のない人からすると、スピーカーだけに10万以上というのは、高価なものだろうし、
日本の大メーカーが、徹底すれば、同じつくりならば、もっと安く作れるはず。

けれど、同じ音がしても、ただ安くつくるだけでは、節倹の精神が息づいていなければ、
新品のころはまだしも、果たして30年──ここまで持たなくてもいいけれど、
10年、20年、古びてボロボロになることなく、303のように、きちんと音を鳴らしてくれるだろうか。

安くても、数年しか持たないスピーカーと、多少高くても長く使えるスピーカー、
どちらが真のローコスト・スピーカーなのかは、はっきりしている。

Date: 3月 30th, 2009
Cate: KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(余談・その2)

自宅から徒歩圏内にある(といってもけっこう歩くけど)、昔からある個人経営のレコード店は、
タワーレコードやHMVといった、よく利用する大型店には置かれなくなったCDが、意外に置いてある。
4年前に、菅野先生から頼まれたCDのうちの1枚は、このレコード店で見つけたし、
そのすこし後に友人から、さがしてほしいと依頼のあったCDも、実はここで購入している。

クラシック専門店ではないけれど、大半はクラシックのCDとDVDという品揃えで、
廃盤になって入手困難になっている国内盤に関しては、かなり高い確率で揃っている。

今日も、数年前に限定盤で出ていたCDを、ここで購入した。
やはり置いてあったか! という感じで、そこにあった。
アマゾンでは中古盤が定価の4倍ほどの値段で売られているのが、新品で、もちろん定価で購入できた。

店に入ったとき、マーラーの交響曲が鳴っていた。
けっして小さな音量ではないが、といって大音量でもないけれど、耳障りにならず、
それでいて音楽に注意が向いてしまう。

目的のCDを見つけるのに気をとられていて、最初はスピーカーに関心がいかなかった。
レジでお金を払い、出口のほうを向いたときに目にはいったのは、なつかしい、KEFの303だった。

何度か利用しているにも関わらず、なぜ今日まで気がつかなかったのか、それも我ながら不思議な気もする。
303は、専用スタンドとともに、出入り口の両側に設置されていた。

1980年ごろのスピーカーだから、30年近く、レコード店の営業時間中は音楽を鳴らしてきたのだろう。
それにしても、草臥れている感じはなかった。
エンクロージュアの4面を囲んでいるグリルも、オリジナルのままのようで、
経年変化でボロボロになってたり、破れがあったり……、なんてことはなかった。

ほーっ、と感心していた。なんと長持ちしているスピーカーだろう、と。

Date: 3月 16th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その37)

マーク・レヴィンソンは、書いている。

「日本文化のひとつの側面は、禅の教えです。瀬川さんのおっしゃる言葉には、禅の教えのように、心を打つものがありました。もちろん、おっしゃったことが正しかったからですが、それよりも私が非常に重要だと思うことは、氏のおっしゃり方、言われた人に伝わるそのお気持」にあるとしている。

レヴィンソンは、瀬川先生の一言で、「もっと内なる真実」を見つめることになる。

Date: 3月 16th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その36)

1982年には、さらにローコスト化を図ったML11LとML12Lが出てきた。
コントロールアンプのML12Lは、電源部を持たず、ML11Lから供給を受けるようになっていて、
それぞれ72万円という価格がつけられ、個別に売られているものの、基本的には組合せで使うものとなっていた。
これが、MLナンバーのついた、最後のアンプというのは、さびしいし、かなしい。

瀬川先生は、ML11LとML12Lはもちろん、ML9LとML10Lの存在もご存じないだろう。
1981年8月6日、ステレオサウンド創刊20周年記念号の取材中に倒れられ、翌7日に再入院されている。
亡くなられたのは、ちょうど3ヶ月後の11月7日の、午前8時34分。

レヴィンソンは、瀬川先生に、これらのアンプの存在を知られたくなかったのではないのか。
私は勝手にそう思っている。間違いないと思っている。

そしてこのころ、LNP2Lにも変化があった。
インプットアンプのゲイン切替えが、初期のモデルと同じ、0、+10、+20dBの3段階に戻されている。
別項の「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書いていたが、
使い難さを指摘されながらも、+30、+40dBの5段階にしていたのは、
レヴィンソンにとっての、求める音のためであったのだろうし、
それを使いやすさのためだけに(私はそう思う)、音の冴えが損なわれるポジションのみとなったこと──、
すでにマークレビンソンというブランドは、レヴィンソンの手を確実に離れつつあった。

瀬川冬樹氏のこと(その35)

1981年の秋には、マークレビンソンから、ML9LとML10Lが発売された。
当時の価格は、どちらも85万円。普及価格帯の製品ではないが、
マークレビンソンとしては、初の価格を意識したアンプである。

このペアが、ステレオサウンドの誌面に登場したときは、まだ読者だった。
正直、落胆した記憶がある。マークレビンソンらしくないアンプだと感じたからだ。

ML9LとML10Lは、マドリガル体制になってからの、初のアンプでもある。
ただ、このことを知ったのは、数年後だった。

アンプの開発には、それなりの時間が必要だから、ML9LとML10Lを企画したのは、
事業経営に忙殺されていたレヴィンソンだったのか、マドリガルの首脳陣だったのかは、はっきりしない。

私にとって、マークレビンソンのアンプは、こちら側から近づいていく存在であり、
価格を抑えることで、向こうからこちらにすり寄ってきてほしくはない。

ステレオサウンドに入ったころは、傅さんが、ML7Lの購入を決意されていた頃でもある。
傅さんが、どれほどML7Lに惚れ込まれていたのかを、みて知っている。
頭金をつくるために、愛着のある、手もとに置いておきたいオーディオ機器の処分を決意され、
どれを手放さなければならないのか、リストアップされていたのを知っている。
支払いの計算も、用意できる頭金の額によって、いくつも計算されていた。

お金のなる木をもっている人ならば、ポーンと即金で買えるだろう。
だが、そんなものは、世の中にはない。傅さんも持っていなかったし、私も持っていない。

だから、MLナンバーがつく、マークレビンソンのアンプを購入するということは、苦労が伴うことでもあった。
そうしてでも手に入れる価値あるアンプだと、私は思っていたから、
言葉にしなかったが、傅さんには共感していた。心強く思ってもいた。

念願のML7Lを手に入れられた傅さんは、輸入元による付属のウッドケースが気にいらず、
オリジナルの、白木のウッドケースを取り寄せられている。

だから、ML9L、ML10Lが登場したとき、瀬川先生はなんとおっしゃるのか、それがとにかくも知りたかった……。

Date: 3月 15th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その34)

マーク・レヴィンソンは、このとき、瀬川先生のお宅の「壁ぎわに、古い小さなピアノがあるのに気がつき」、
10分間ほど、仕上げたばかりの自作の曲を弾いている。
弾き終ったレヴィンソンに、
「演奏中は、お顔の表情がまったく違っていましたよ。大変おくつろぎのご様子で、本当に幸せそうでした」と
瀬川先生はおっしゃったそうだ。

この瀬川先生の言葉を、レヴィンソンは「忘れることができないであろう一言」と、表している。
この瞬間(とき)、レヴィンソンは、「私の人生には音楽しかなく、会社経営とか技術という分野は元来、
自分の領域ではない、という私にとって動かしがたい真実」を、悟ったと書いている。
「真に幸せであるためには、いかなる変化が要求されようとも、私が生きていくためには、
音楽のためにより多くの時間と、空間を創り出すことが絶対に必要であること」も思い出している。

LNP2やJC2、ML2が高い評価を受けるとともに、会社も急激に大きくなり、
レヴィンソンの「心は事業経営に忙殺され」、音楽に費やす時間が、反比例して減っていく。

成功とともに失ったものに気づき、「音楽に再び帰るべきこと」を、
レヴィンソンは、瀬川先生の「思いやりのある言い方」で決心したのだろう。

瀬川先生は、「茶目っ気たっぷりの目をクリクリさせながら」言われたそうだ。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その39)

暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンブを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80の、ほんとうの音だと、わたしは信じている。
誤解しないで項きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたま良い音で鳴ったというだけの話である。しかしわたくし自身はこの体験を通じて、アンプというもののありかたを自分なりに理解できたつもりであり、また同時に、無責任な「技術の進歩」などという言葉をたやすくは信じなくなった。
     ※
ステレオサウンドの7号(1968年)に、瀬川先生が書かれた文章である。

瀬川先生が理解された「アンプのありかた」、AXIOM80が啓示した「アンプのありかた」──、
これらのことが、瀬川先生とLNP2との出合いにつながっていく。

Date: 3月 5th, 2009
Cate: Mark Levinson

ベーシストとしてのマーク・レヴィンソン(その1)

ステレオサウンドで働きはじめたばかりのころ、先輩編集者のSさんが、あるレコードを聴かせてくれた。
ポール・ブレイの「バラッズ」だ。
マーク・レヴィンソンがベーシストとして、2曲参加している。

録音は1967年だから、レヴィンソンは17か18歳だ。
レヴィンソンがミュージシャンとして、短い期間だが活動していたことは知っていたが、
こんなに若いときとは思いもしなかった。

Sさんは「レヴィンソンのアンプっぽい演奏だよ」と言っていた。
「ハメをはずすことのない、どこか神経質な感じを漂わせる演奏」というSさんの言葉が、
先にあったためか、たしかにジャズに詳しくない私の耳にも、そんなふうに聴こえていた。

マーク・レヴィンソンについて書いていたら、ふとこのレコードのことを思い出し、
検索してみたら、2000年にユニバーサルミュージックからCDが発売されていた。
CDのディスク番号は、UCCE3003。

すでに廃盤のようだが、Amazonで新品が入手できた。
それほど入手は難しくないようだ。
ただAmazonでは、新品が定価で買えるのに、中古盤が、ほぼ4倍の価格で出品されてたりもする。

今日届いたCDの帯には、「世界初CD化」とある。
おそらく日本盤しかないのだろう。

「これだ、これ。あの時聴いたレコードだ」と、27年前のことを、聴いていたら、けっこう鮮明に思い出せた。
ステレオサウンドで働いてなかったら、聴く機会はなかったであろうディスクだ。
レヴィンソンが参加しているレコードは、他にもあるらしい。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その38)

このころから、レヴィンソン自身が目指している音のベクトルと、
瀬川先生が求められている音の性格が、すこしずつ離れてはじめてきたようにも感じられる。

瀬川先生がLNP2をはじめて聴かれたときからML2L登場までの数年間は、それはぴったり重なっていたように、
読者だった私は、そんなふうに受けとっていた。

それがHQDシステムについて書かれた記事、ML3Lについての文章、
そして1981年6月にステレオサウンド別冊として出たセパレートアンプ特集号の巻頭の文章と読んでいくうちに、
すこしずつ確信を深めていくようになった。

あきらかにレヴィンソンと瀬川先生の求めている世界が変わりはじめていることを。