Archive for category テーマ

Date: 1月 8th, 2023
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その85)

オーディオの想像力の欠如した耳は、「差」の世界ばかりに気を取られ、
「和」の世界であることに気づかないのかもしれない。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その1)

別項「Meridian 210 Streamer(その11)」で書いているように、
来週あたりに、アキュフェーズのDP100とDC330がやって来るわけだが、
この他にパワーアンプのA20VとデヴァイディングネットワークのDF35もやって来る。

終のスピーカーといっしょにやって来るはずだったけれど、
部屋の片づけが間に合わず、友人の倉庫で預ってもらっている。

部屋の片づけもエレクターのワイヤーシェルフを導入して、
週半ばぐらいにはなんとかなりそうなので、それからアキュフェーズがやって来る。

アキュフェーズの製品を自分のモノとして使うのは、初めてである。
ステレオサウンドにいたころ、アキュフェーズの製品は、
ほとんどの試聴で使って、その音に触れてきている。

CDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
そのどれも試聴室のリファレンス機器でもあったからなのだが、
自分のモノとして使ってきたことはなかった。

ほんの数ヵ月、P300Lを借りて鳴らしていたことはあるが、
それだけだった。

スチューダーのA727を購入したとき、
アキュフェーズのDP70と試聴室で何度か比較試聴したことはあるけれど、
選んだのはA727だったことは、別項で書いている。

なじみがあるようでないような──、
まだやって来ていないので、なんともいえないし、
私が聴いていた頃のアキュフェーズは1980年代だし、
私のところにやって来るアキュフェーズも二十年ほど前の製品ばかり。
ということもあって、どんなふうに感じるのだろうか、とそれも楽しみである。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その12)

メリディアンの210と218は、
メリディアンの推奨する接続、LANケーブルを使って行う。

アキュフェーズのDP100とDC330との接続も、
アキュフェーズ独自のHS-Linkなので、LANケーブルで行う。

DP100と218は、DP100のSPDIF出力を同軸ケーブルで218のSPDIF入力へと接続。
210とDC330は、210のSPDIF出力を同軸ケーブルでDC330のSPDIF入力へと接続。

218、DC330、それぞれのアナログ出力はGASのTHAEDRAのライン入力に接続する。

SACDの再生は、DP100+DC330、
MQA-CDの再生は、DP100+218、
TIDALのMQAの再生は、210+DC330(コアデコード)と210+218(フルデコード)となる。

どれがいちばんいい音なのかを検証するよりも、
それぞれの音のそれぞれのよさを見出していきたい。

同時に、最近ではあまり語られなくなってきたデジタル・コントロールアンプ、
というよりデジタル・コントロールセンターについて考えていくヒントが得られる予感もする。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 「オーディオ」考

潰えさろうとするものの所在(その3)

五年前に、別項「続・再生音とは……(続その12に対して……)」で、
AIとは、artificial intelligenceだけではなく、
auto intelligenceなのかもしれない、と思うようにもなってきた、と書いたことを、
このテーマの続きを書こうとしたら思い出した。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その11)

来週か再来週に、アキュフェーズのDP100とDC330がやって来る。
日進月歩といっていいデジタルオーディオ機器なのだから、
DP100とDC330は、かなり古い製品ということになる。

それでもDP100のメカニズムは、いまでも魅力的に感じる。
実をいうと、最初はDP100だけでいいかな、と考えていた。

DP100とDC330を組み合わせることで、SACDの再生が可能になる。
このことは魅力なのだが、SACDをそれほど多く持っているわけでもないし、
一応SACDプレーヤーは持っているし、置き場所の問題もある。
コントロールアンプが、DC330を含めると三台になる。

そんな事情から、DP100だけにするか、と考えていたのが、
ころっと考えを変えてしまったのは、210の存在だ。

210は、MQAのコアデコードを行ってくれる。
SPDIFのデジタル出力を持つから、DC330との接続も問題ない。

DC330は内部をみてもブロックダイアグラムをみてもわかることだが、
DP100とペアになるDC101と基本的には同じである。

トーンコントロールなどの機能をもつD/Aコンバーターともいえる。
メリディアンの218と同じだ。
とはいえ、そこに投入されている物量は大きく違う。
技術も違う。

そんなふうにみていくと、218とDC330の両方があるのも面白いと思えるようになったからだ。
アキュフェーズのDP100とDC330、
メリディアンの210と218、
これら四機種を使って、いくつか実験して検証してみたいことがある。

DC330はコントロールアンプというよりも、D/Aコンバーターとして使う予定で、
GASのTHAEDRAに接続する。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: atmosphere design, wearable audio

atmosphere design(その10)

昨晩の「Panopticom (Bright Side Mix)」に、
facebookでコメントがあった。

audio wednesdayの常連だったHさんのコメントである。
     *
究極のオーディオを夢想した時、広くない部屋に苦しめられている者として、攻殻機動隊のように直接的に脳に埋め込むものが出てきたら、リスニングルームの影響を受けずに膨大なライブラリーを楽しめるなぁ。でも、アンプのノブを触る楽しみ無くなるなぁとも。楽しむという中での身体性をどう考えたら良いのか、未だ整理が付いておりません。
     *
いままでのシステムとはまったく違うオーディオとして、
直接脳に信号を送る──、という方法については、けっこう前から語られてきている。

私が読んだ範囲でいえば、長岡鉄男氏が電波科学に書かれていたのが最初で、
1977年78年ごろの話だ。

長岡鉄男氏は、放送作家でもあったわけだから、
ただ単にこういう方法が考えられる、ということに留まらずに、
そうなったとしたら、ある種の結界が必要になるのではないか──、
そんなことを書かれていたと記憶している。

長岡鉄男氏のいうところの結界とは違う意味で、
もしこういうことが可能になったとしたら、
結界のようなものを聴き手は求めるようになる、と思っている。

リスニングルームの影響を受けないのは、確かに理想といえるけれど、
そこでなんらかの空間を感じないのであれば、人はどういう反応を示すのだろうか。

おそらくなんらかの空間を認識させるようなしくみ(要素)が、
そこに加えられると私は予想する。

それもatmosphere designであるはずだし、
《楽しむというなかでの身体性》に関しては、wearable audioなのだが、
こうやって書いていると、wearable audioはatmosphere designに含まれていくのかもしれない。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: 再生音

残像、残場、残響(その3)

十年以上、毎日、音について書いてきているわけだが、
ここでの音は、ほとんどすべてがスピーカーから鳴ってくる音について、である。

しかも、そのスピーカーから鳴ってくる音は、
一度録音されたものを再生しての再生音について、であり、
マイクロフォン、ミキシングコンソール、アンプを通ってきていても、
それが一度も記録(録音)されていない音、
つまりPA(public address)の音ではない、
ということをつい忘れがちになる人もいるのではないのか。

どちらもスピーカーから鳴ってくる音(音楽)であっても、
PAでのスピーカーからの音を再生音とは言わない。

Date: 1月 6th, 2023
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その20)

オーディオマニアが、
オーディオマニアとしての役目、役割をまったく考えなくなったとしたら、
それは、やはり時代の軽量化なのだろう。

実際のところ、どうなのだろう?
オーディオマニアとしての役目、役割──、
そんなこと、自分には無関係という人の方が多いのだとしたら……。

Date: 1月 6th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Panopticom (Bright Side Mix)

ピーター・ガブリエルのニューアルバム“i/o”からのファーストシングル、
“Panopticom (Bright Side Mix)”が、1月6日(満月)に公開になった。

Apple Music、YouTube、Spotifyなどさまざまなストリーミングサービスで聴くことができる。
e-onkyoでも配信されている。

TIDALももちろんだ。
MQA Studioで96kHzで聴ける。

詳細はまだ発表になっていないが、満月にあわせて新曲を公開していくとのこと。

ピーター・ガブリエルのfacebookには、こう書いてある。
     *
Today, on the first full moon of 2023, Peter releases the first new song from his forthcoming album i/o. Written and produced by Peter, Panopticom was recorded at Real World Studios in Wiltshire and The Beehive in London.

Panopticom references an idea that Peter has been working on to initiate the creation of an infinitely expandable accessible data globe. The aim is to “allow the world to see itself better and understand more of what’s really going on”.
     *
後半の部分をどう、聴き手は受けとるのか。

パッケージメディアにこだわるのはいいが、
パッケージメディアだけにこだわり続けていると、
ピーター・ガブリエルの試みを受けとることすらできない。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの「役目」、そして「役割」

『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』というタイトルで、
別項で書いてきている。

元日に、「毎日書くということ(今日決めたこと)」にコメントがあった。

そのコメントに、こう書いてある。
《オーディオ道は、語り継がれるものであり、それを伝承するのは我々オーディオを愛する者の流れではないでしょうか》

『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』を書いていて思ったことが、これである。
『オーディオマニアの「役目」、そして「役割」』というタイトルで書こうと思いながらも、
これまで書いてこなかったのは、趣味のことなのに……、そんなふうに思う人のほうが多いだろうし、
あえて書くことでもないのかも──、そんなふうに思ったからだ。

けれどCelloのFさんのように、
《オーディオ道は、語り継がれるものであり、それを伝承するのは我々オーディオを愛する者の流れではないでしょうか》
と思う人がやはりいてくれる。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: 映画

モリコーネ 映画が恋した音楽家(その1)

1月13日から、映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」が上映される。

エンニオ・モリコーネの映画が公開になるのは数ヵ月前から知っていた。
とはいうものの、さほど大きな関心をもっていたわけではなかった。
昨年暮に映画を観に行った際に、「モリコーネ 映画が恋した音楽家」の予告編が流れた。

予告編の出来がいいだけなのかもしれないが、
おもしろそうな予感がした。

公開が楽しみな一本である。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Troubadour 40と4PI)がやって来た!!!(その意味)

ここで、しつこいぐらいに、伊藤先生の言葉──、
《スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。》
を引用しておく。

ステレオサウンド 72号に載っている。
記事ではなく、上弦(かみげん、と読む。シーメンス音響機器調進所)の広告に載っている。

ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40は、
さしずめ私を試すために、終のスピーカーとしてやって来たのだろう。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その19)

トーマス・スタンコの“Terminal 7”も、TIDALで聴ける。
すぐに聴ける。

この、すぐに聴ける、ということが、
聴き手としてのこちらの積極性にすこしばかりを影響を与えている。

すぐに聴ける、ということがなければ、
“HOMELAND”をどれだけ見ようと、曲を検索することはしなかったのだから。

“HOMELAND”はシーズン5まで見ているから、
トーマス・スタンコの“Terminal 7”は七十回は聴いているわけだ。

にもかかわらず、昨晩まで検索してこなかったのは、
すぐに聴けないこと、
それからCDをさがして買ってきてまで聴こう、というつもりはなかったこと、
この二つのことがあってそのままにしていた。

そんな怠惰な聴き手であっても、TIDALがあると、少しは変ってくる。
シーヴ・ヤコブセンとトーマス・スタンコを、昨晩は知った。

TIDALを使っていなければ、おそらくこのままずっと知らなかったであろう。

音楽を聴くのに、TIDALなどのインターネットを介しての聴き方を、
どこか味気ない、空虚だ、と否定する人がいまも少なからずいるはわかっている。

否定したい人は、否定すればいい。
TIDALで配信されている音楽のすべて、とまではいわないものの、
大半を所持している人ならば、そういうことをいうのも自由だ。

けれど、どんなに音楽好きの人であっても、
TIDALで配信されている音楽の、いったい何割を持っているというのだろうか。

TIDALにすべてがあるわけではない。
けれど、それはTIDALしか使わないということではない。
TIDALを使って聴くのもよし、CDやLPで聴くのもいい。

物理的なメディアがないことを、味気ないとか空虚とかいってしまうことの、
聴き手としての不自由さというよりも、消極的なところに留まってしまっていること。

そのことに対して、何も感じないのは、音楽の聴き手としてどうだろうか。
こういう聴き手は、なぜか、どちらか片方だけで論じてしまうところがあるよう気がする。

どちらも選べるのだから、妙なこだわりを捨ててしまえばいいのに──、
けれどそれができないから、味気ないとか空虚とかいってしまうのか。

そして、このことは、別項で書いている老成ぶるにも関係してくるように感じている。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その18)

ホイットニー・ヒューストンの映画だから、
劇中に彼女が主演の映画「ボディガード」のことも描かれている。

オリビア・ニュートン=ジョンの“Jolene”と同じように、
ホイットニー・ヒューストンの“I Will Always Love You”も、
ホイットニー・ヒューストンのための曲だと、ずっと思っていた。

映画を観て、この曲もドリー・パートンだったのか、と知った私は、
年が明けたのだから、いままで聴いたことのない曲を聴いてみよう、ということで、
ようやくドリー・パートンの“Jolene”を聴いた。

TIDALにあったから、聴いたともいえる。
ドリー・パートンの“Jolene”を聴きながら、
最初に聴いたのがオリビア・ニュートン=ジョンの“Jolene”でよかったなぁ──、と思いながら、
オリビア・ニュートン=ジョン以外にもカヴァーしている人は、どんな人なのだろううか、と、
今度はTIDALで“Jolene”で検索する。

けっこう表示される。
その中で、気になったのが、
Siv Jakobsen(シーヴ・ヤコブセン)というノルウェーの女性歌手のライヴアルバムだ。
“Live in Oslo”で、TIDALで聴ける。

五曲目の“Jolene”をまず聴いて、それからアルバムの最初から聴いていた。
聴きながら、そういえば、と思い出したことがあった。

「ホームランド(HOMELAND)というアメリカのドラマだ。
2011年にシーズン1が放送され、日本ではHulu、Netflixで見ることができた。

クレア・ディーンズ主演の、このドラマにはハマった。
音楽もよかった。

最初聴いた時、マイルスっぽいと感じたトランペットを中心とした曲は、
このドラマの雰囲気にぴったりとはまっていた。

この曲を聴くと、“HOMELAND”の世界に引き込まれていく感じでもあった。
とはいえ、当時、誰の演奏なのかを調べることまではしなかった。

2011年のことだから、Googleで検索すれば、すぐに誰の演奏で、曲名もすぐにわかっただろう。
でも、それをやらなかったのは、わかっても、そのディスクを買うのかといえば、
買わないことは自分でわかっていたからだ。

それでも、昨晩は“Live in Oslo”を聴いていて、そうだ、と検索してみた。
トーマス・スタンコ(Tomasz Stańko)の“Terminal 7”である。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その17)

三年ほど前の別項で触れている同級生だったT君。
オリビア・ニュートン=ジョンが歌う「ジョリーン(Jolene)」を聴いたのは、
彼の家のステレオだった。

T君は、そのころオリビア・ニュートン=ジョンにのぼせあがっていた。
T君の家に遊びに行った際に、彼が聴かせてくれたのが最初だった。
1976年か77年ごろの話だ。

T君はシングル盤ではなくLPを買っていた。
「水のなかの妖精(Come on Over)」だ。

当時、中学生だった私には、このジャケットはなかなか刺戟的でもあった。
T君が自慢げ顔つきで聴かせてくれた“Jolene”は、よかった。
サビの部分を口ずさむようになっていた。

とはいえ最初聴いたとき、恋の歌なのはわかっても、
ジョリーンを男性の名前だと思って聴いていた。
歌詞カードを見せてもらって、女性の名前だということを知る。

このころ、“Jolene”はオリビア・ニュートン=ジョンのためにかかれた曲だと思ってもいた。
ドリー・パートンの曲だと知ったのは、十年ほど経ってからだった。

その時、ドリー・パートンによる“Jolene”をすぐさま聴いたかというと、まったくそうではなかった。
聴いたのは、今年になってからだ。

去年暮れ最後に、
「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」を観たからだった。