Archive for category テーマ

Date: 5月 27th, 2019
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(Made in Japan・その2)

試作品の音を、インターナショナルオーディオショウで聴き、
強く感心し強い関心と期待をもったけれど、
完成品として仕上がった、その音に、こんなふうになってしまったのか……、
と個人的にひどくがっかりしたのは、ヤマハのNS5000である。

もっとも私がそう感じているだけで、
多くの人は、試作品のNS5000の音よりも、
完成品のNS5000の音を高く評価しているようだから、
まぁ、それはそれでいいんじゃないか、と思うしかない。

私はNS5000への関心を急速になくしてしまった。
なので、つい最近知ったのだが、
NS5000は、日本製ではなくインドネシア製である。
専用スタンドはマレーシア製である。

そのことを批判したいわけではない。
ちょっと意外だっただけである。

でも、これ以前書いているが、
TADの以前のフロアー型システムは、中国で製造していた。
オーディオアクセサリーだったと思うが、記事にもなっていた。

中国だから、この値段に抑えられている、ということも書いてあったよう気がする。
NS5000もそうなのだろう。

このことに関連して思い出すのは、
タンノイのウェストミンスターが登場したときの話である。

タンノイはオートグラフの製造をやめた。
輸入元のティアックが、承認を得て日本でオートグラフのエンクロージュアを製作するようになった。

そういうことが背景としてあったものだから、
ウェストミンスターが登場したときに、
ステレオサウンド編集部の誰かが、「イギリス製ですか」と訊ねた。

返ってきたのは、
日本でよりも、いまではイギリスで作るほうが安く仕上がる、とのことだった。

Date: 5月 27th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その9)

Bさん夫妻は、どこでオーディオ一式を購入したかというと、
都内のオーディオ専門店ではなく、ヨドバシで、である。

ヤマハの5000番のセパレートアンプ、
B&Wのスピーカーシステム、それに見合うCDプレーヤー、
これだけで四百万円以上にはなる。

これだけの金額のオーディオを、専門店ではなく、
いわゆる量販店とよばれるヨドバシでの購入である。

友人のAさんからBさん夫妻の話を聞いた時から、
なんとなくこうなるんではなかろうか、と思っていた。

オーディオ専門店では買わないのではないか、
そう思っていた。

Bさん夫妻は、これだけの予算をオーディオに割いても、
彼らはオーディオマニアではないから、オーディオも生活家電の一つという認識だ、そうだ。

ならばヨドバシでの購入も十分あり得る──、
というよりも、オーディオ専門店で買いたくなかったのではないだろうか。
そんな気がする。

量販店といっても、ヨドバシの店員はよく勉強している人が多い、と感じている。
先日も、いわゆるウォークマンタイプのポータブルオーディオの買物につきあった。
その時の、比較的若い店員の受け答えは、よく勉強しているな、と感心してしまった。

しかもただ知識を溜め込んでいるだけでなく、
しっかりと自分の考えも、ちらっと、言ってくれる。

ヨドバシの店員全員がそうなのかというと、なんともいえないが、
少なくとも、その若い店員は、
専門店だから、量販店だから,という括りで判断できない。

むしろオーディオ専門店の店員のなかには、
別項「オーディオのプロフェッショナルの条件(その2)」で書いた店員がいたりする。

そんな店員ばかりでないことはわかっていても、
そんな店員はどうしても目立つ。

そんな店員に対しての嗅覚というのは、
オーディオマニアよりも、そうでない人のほうが鋭かったりすることもあるのではないのか。

Bさん夫妻がそうなのかははっきりとはいえないが、
なんとなくそんな感じもする。
だから、オーディオ専門店を避けての、オーディオの購入という選択だったのかもしれない。

Date: 5月 26th, 2019
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その2)

ビクターのM7070の音は、私にはクラシックを聴くための音とは思えなかったが、
だからといって、質が悪いと感じたわけではなかった。

同時代のカートリッジのエンパイアの4000D/III。
このカートリッジに似た印象が、どこかしらあった。

どちらもクォリティの高さをきちんと持っているけれど、
クラシックを聴く者にとっては、その良さがプラスの方向に働いてくれないところがある。

聴く音楽がクラシックでなければ、
4000D/IIIもM7070も、その良さが存分に発揮されるはずだ。

しかも4000D/IIIとM7070をもってきての組合せは、
一度聴いてみたかった、と思わせる。

何がいいたいかというと、M7070の印象が、
私の場合、スイッチング電源の印象につながっている。

次にスイッチング電源を採用したアンプで思い出すのは、
無線と実験での、金田明彦氏の発表されたアンプだった。

私が読み始めたころは、金田式DCアンプには、
タムラ製のトロイダルトランスが使われていた。

それが乾電池に代っていった。
ナショナルの乾電池で、より高い電圧を得るために、
乾電池と増幅部とのあいだにスイッチング電源をいれ、昇圧していた。

そのころの無線と実験はとっくに手元からなくなっていて、
記憶も少し曖昧なところもあるが、
スイッチング電源の周波数の重要性に言及されていた。

どのくらいの値だったのかは忘れてしまっているが、
20kHzよりは高い周波数だった。
M7070の35kHzよりも高かったように記憶している。

より高い周波数で動作させてこそのスイッチング電源なのか、と、
そのころ思っていたし、
M7070の35kHzが70kHz、さらには100kHzになっていたら、
M7070の音はさらに磨かれていくのでは……、そんなことも考えながら、
そのころは金田明彦氏の記事を読んでいた。

Date: 5月 25th, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その41)

自己表現と自己満足。
違うけれど、近くもある。

オーディオは自己表現だ、と声高に叫び、自己満足する。
そんな人がけっこういるのを感じている。

オーディオ機器の自作は、アンプであれスピーカーであれ、
自己表現と自己満足が、
これ以上くっつきようのないくらいに接近してしまうところを内包している。

別項で書いている300Bプッシュプルアンプは、
まさに自己満足のために考えている。
とはいっても、自己表現のためのアンプではない。

別項で書いているように、3月と5月のaudio wednesdayで、
自作の電源コードを使って鳴らした。

3月に使ったのはCDプレーヤー用で、
5月に使ったのはアンプ用で、少し太めである。

この二本の電源コードは、ある人のところで鳴っている。
試してみてください、と貸し出していた。

「手放せない存在になってしまった」と連絡があった。

audio wednesdayで鳴らしているので、ある程度の手応えはあった。
それでも「手放せない存在」といわれると、やっぱり嬉しくなるわけだが、
この嬉しくなるというのは、自己満足なのか、と思ってしまう。

自分のために作り、自分一人で聴いて、いい音が出た──、
というのは、自己満足である。
しかも、それを誰かが聴いて、あまりいい音ではない、という感想が返ってきたら、
完全な自己満足である。

今回の電源コードは、「手放せない存在」といってくれる人がいる。
それでも、自己満足なのか、と思ってしまうところがある。

Date: 5月 25th, 2019
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その1)

私の記憶の範囲内では、
スイッチング電源を最初に採用したアンプは、ビクターのM7070である。

M7070のスイッチング電源は、アンプ全体を小型軽量化するためのものではなく、
従来の電源方式では得られない供給能力を目指しての才能だった──、
と当時読んでいた電波科学での記事からの印象である。

その記事には、木の板、コンクリートの板、鉄の板のイラストがあった(はずだ)。
それぞれの板に、上からボールを落としているイラストだった。

板の材質が、アンプの電源の容量を表していた。
ひ弱な電源が木の板で、従来の方式でのしっかり作られた電源がコンクリートの板。

ビクターは、スイッチング電源でのみ鉄の板の強度を実現できた、と説明していた。
細部で記憶違いはあると思うが、こんなふうな説明がなされていた。

なるほど、と感心しながら読んでいた。
M7070は、瀬川先生が定期的に来られていた熊本のオーディオ店で聴いている。
瀬川先生は、そのとき「THE DIALOGUE」を鳴らされた。

他のアンプでは聴けないかも……、と思わせるほど、
パルシヴな音の鋭さは見事だった。

音を聴いて、またなるほど、と感心していた。
確かに、これは鉄板の音だ、と感じていたからだ。

M7070の音は、快感ですらあった。
でもクラシックは、このアンプでは聴けないな、とも感じていたけれど、
スイッチング電源の可能性は、小型軽量の方向ではなく、
従来の電源と同程度の容積で構成してこそ良さが活きてくるのかも、と考えた。

スイッチング電源は、なかなか普及しなかった。
M7070のスイッチング周波数は35kHzと、可聴帯域よりもほんのわずかだけ上だった。
当時としては、このへんが上限だったのだろう。

Date: 5月 25th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その22)

パッシヴ型のデヴァイダーでは、
ラグ端子を使い、部品のリード線がしっかりと絡むようにした上でのハンダ付けだった。

つまりハンダ付けをしなくとも音は出る(信号が流れる)状態での、
ハンダの量による音の違いが生じたわけである。

その理由について、ある仮説をもっているけれど、
いまのところ公表するつもりはない。

大事なのは、ハンダの量で音は変る、ということである。
とはいうものの、パッシヴ型のデヴァイダーを作ってから、
けっこう年月が経っている。

その間にどれだけのハンダ付けをしてきたかというと、
やっていない、といったほうがいいくらいでしかない。

ハンダ付けがヘタになった、と自覚している。
こんな腕前では、ハンダの量を、ハンダ付けの箇所すべてできちんとコントロールできるわけがない。

そうなると、300Bのプッシュプルアンプを作る前に、
少なくとも一台は、ハンダ付けの勘を取り戻すために作る必要性を感じている。

私は、真空管アンプ自作マニアではない。
何台も何台も、真空管アンプを自作して、手元に置きたいわけではない。

一台の、300Bプッシュプルアンプが欲しい。
満足できる300Bプッシュプルアンプが欲しいだけである。

市販されているモノに、残念ながら満足できないから、
自作するしかないと思っているだけである。

100%満足できるモノを、市販品に求めているわけではない。
70%くらい満足できれば、充分だと思っているにも関らず、
それでも見当たらないのが現状である。

もっとも、このことは私にとって──、ということでしかない。

ならば300Bプッシュプルアンプの前に、どんなアンプを作るのか。
大袈裟なモノにはしたくない。

ステレオ仕様(300Bプッシュプルアンプはモノーラル仕様の予定)で、
出力管は6V6あたりにしようかな、と思っている。

ならばウェストレックスのA10と同じ回路構成で、となる。
つまり伊藤先生の349Aプッシュプルアンプを、
349Aではなく出力管を6F6にして──、そんなことを考えている。

Date: 5月 24th, 2019
Cate: High Resolution

Ryozan

MQAを積極的に評価している。
MQAの音に触れる度に、
私の場合は、いまのところメリディアンによるMQAの音に限られているけれど、
それでも、MQAで、さまざまな録音、さまざまな楽器を聴いてみたい、と思うようになる。

そんな私がいま一番聴きたいとおもっているのが和楽器である。
三味線、琴、尺八を、MQAで聴いてみたい。

もちろんただ聴ければいいというわけではない。
優れた録音で、和楽器の音色がどんなふうに再現されるのか、
そこに興味がある。

そんなことをおもってはいても、
和楽器のMQA-CDを探していたわけではなかった。

たまたまtwitterを眺めていたら、
坂田梁山の“Ryozan”が5月に発売になっているのを知った。

知った時点では、MQA-CDだとは知らなかった。
リンク先のウェブページには、MQA×UHQCD仕様とある。

MQAで尺八が聴ける。
もうこれだけで聴きたくなってくる。

二年前に「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」について書いた。

この時はMQA-CDもULTRA DACも218の音を聴いていなかった。
「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」も、MQAで聴いてみたい。

いままで熱心に聴いてこなかった音楽へ、一歩踏み込む聴き方が出来そうな気がしている。

Date: 5月 24th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その1)

別項「メリディアン 218を聴いた(その12)」に、facebookでコメントがあった。
これまでならば、
「メリディアン 218を聴いた(その12・コメントを読んで)」というタイトルで書くところだが、
そのコメントを読んでいて、そうしなかった。

コメントをくださったTさんは、
私が218について書いてきたものに刺激され、試聴せずに218を購入されたそうだ。

Tさんは、これまでもMQA再生は、試されていたようだ。
MQA-CDではなく、MQAファイルを簡易的な再生で聴かれていた印象と、
218でのMQAファイルの再生とでは、明らかにレベルの違いを感じさせる音になって、
感心した、とあった。

こういうコメントをいただくと、素直に嬉しい。
そして、やっぱりMQAの音の良さを、きちんとわかってくれる人はいる。
この当り前のことがわかって、さらに嬉しい。

Tさんは、MQAフルデコードの音は、
「空気の量が増えた」印象がある、と書かれていた。

この「空気の量が増えた」が、タイトルを変えた理由になっている。

昔から、量感という表現がある。
私がオーディオに興味をもったころには、
もう当り前のように使われていたし、
音を表わす表現としても、かなり以前からあるものと思われる。

けれど、この、わかりやすく思える量感ですら、
人によって捉え方が違う、ということを感じることが増えている。

「空気の量」は、
私も「メリディアン 218を聴いた(その10)」で使っている。

そこでは、ULTRA DACと218の音の違いを表わすために使った。
まだ「メリディアン 218を聴いた」は書いている途中であり、
「空気の量」については、通常のCDとMQA-CDの違いについてでも使おうと思っていた。

そうなのである。
確かに「空気の量」が増す。

218での通常のCDとMQA-CD(私はまだMQAQファイルを聴いていないので)でも、
後者のほうが「空気の量」が増す。
ULTRA DACでも同じである。
MQA-CDでは「空気の量」が増す。

218とULTRA DACを比較すると、ここでも「空気の量」が増す。

この「空気の量」が増す感覚こそが、
私にとっての量感そのものである。

Date: 5月 23rd, 2019
Cate: 表現する

自己表現と仏像(その7)

その6)を書いたのはほぼ二年前。
どんなことを書いていくのかは、だいたい決めていた。
なので書こうと思えば書けないわけではなかったのに、
ここでも二年経ってしまった。

でも思うのは、ここを読んでいる人のなかに、
手塚治虫の「火の鳥」鳳凰編を読んでいる人がどのくらいいるのか、だ。

鳳凰編に片目・片腕の我王と、仏師の茜丸のふたりが登場することは、
(その2)に書いた。

我王は粗野な男だ。
茜丸はそうではない。
風貌も、我王と茜丸はひどく違う。

こんなことを書いていくのか……、とおもって、今日まで書かずにいてしまった。
「火の鳥」鳳凰編を、まず読んでほしい、とおもう。

読んでもらえば、私がここでのテーマで書きたいことは、
ほぼ伝わるはずだ。

「オーディオ(音)は自己表現だ」的なことは、我王ならば絶対にいわない、

Date: 5月 23rd, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その59)

オーディオの想像力の欠如した耳に、
《陽の照った表側よりも、その裏の翳りを鳴らすことで音楽を形造ってゆくタイプの音》は、
どうきこえるのだろうか。

Date: 5月 22nd, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(突破という感覚)

これが9385本目で、10000本まであと少し。
間違いなく、今年中に1000本目を書くことになるけれど、
ここまできても特に達成感のようなものはない。

毎日書いていて、達成感はない、ということは以前書いいるとおり。
それでも、ここに来て、達成感ではないけれど、違うものを少し感じ始めてきた。

突破できたかな、という感覚である。
この感覚は、うまく書けたから得られるものではなく、
あくまでも私一人、感じていることでしかない。

突破できたかな、とか、突破できた、と私が感じているのは、
どれなのかは書かないし、
書いたところで、えっ、これが? と思われることだろう。

うまく書けたかどうかではないから、
読まれている方には理解しにくいことのはずだ。

それでも、この突破という感覚は、
それが小さいものであっても、大事にしたい。

Date: 5月 21st, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その21)

真空管アンプを自作する、
そこでの塩加減はなんのか。

こじつけなのかもしれないが、ハンダ付けにおけるハンダの量のような気がする。

二十数年前に、知人に頼まれて抵抗とコンデンサーだけの、
いわゆるパッシヴ型のデヴァイダーを作ったことがある。

4ウェイ用で、モノーラル仕様。
シャーシー加工が終り、依頼してきた知人が一台、私が一台を作ることになった。

当然だが、使用部品は同じ。
内部の配線もプリント基板を使わずにラグ端子を使って行った。
配線材は左右チャンネルで同じになるように、線材の長さだけでなく向きも揃えた。

そうやって二台のパッシヴ型のデヴァイダーが出来上った。
ステレオで聴いた後に、スピーカーを一本にしてモノーラルでも聴いてみた。

知人が作ったモノと私が作ったモノとの比較試聴である。
部品が同じだから、基本的には同じ音といえるけれど、
まったく同じ音でもなかった。

ここでの音の違いは、ハンダ付けの違いに起因するとしか思えない。
もちろん同じハンダ(キースター)を使っている。

けれど一箇所あたりのハンダの量は、知人と私とでは違いがあった。
知人のほうが一箇所あたりのハンダ使用量は多かった。

多かったといっても、二倍も違うわけではない。
ハンダの量の違いは、作っている途中で、知人も気付いていた。

ハンダの量は多すぎても少なすぎてもダメであり、
塩加減と同じで、ハンダ付けも一発勝負である。

パッシヴ型のデヴァイダーだから、いくら4ウェイ用とはいえ、
使用部品点数は少ないし、ハンダ付けの箇所も多いわけではない。
真空管アンプに比べれば、ずっと少ない。

それでもハンダ付けでのハンダの量は、
少なからぬ違いとして、音としてあらわれることは事実である。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その20)

塩加減ということで、さらに脱線していけば、
瀬川先生がステレオサウンド 56号で、
JBLのParagonについて書かれた文章から、次のことを引用したくなる。
     *
 おもしろいことに、パラゴンのトゥイーター・レベルの最適ポイントは、決して1箇所だけではない。指定(12時の)位置より、少し上げたあたり、うんと(最大近くまで)上げたあたり、少なくとも2箇所にそれぞれ、いずれともきめかねるポイントがある。そして、その位置は、おそろしくデリケート、かつクリティカルだ。つまみを指で静かに廻してみると、巻線抵抗の線の一本一本を、スライダーが摺動してゆくのが、手ごたえでわかる。最適ポイント近くでは、その一本を越えたのではもうやりすぎで、巻線と巻線の中間にスライダーが跨ったところが良かったりする。まあ、体験してみなくては信じられない話かもしれないが。
 で、そういう微妙な調整を加えてピントが合ってくると、パラゴンの音には、おそろしく生き生きと、血が通いはじめる。歌手の口が、ほんとうに反射パネルのところにあるかのような、超現実的ともいえるリアリティが、ふぉっと浮かび上がる。くりかえすが、そういうポイントが、トゥイーターのレベルの、ほんの一触れで、出たり出なかったりする。M氏の場合には、6本の脚のうち、背面の高さ調整のできる4本をやや低めにして、ほんのわずか仰角気味に、トゥイーターの軸が、聴き手の耳に向くような調整をしている。そうして、ときとして薄気味悪いくらいの生々しい声がきこえてくるのだ。
     *
Paragonのトゥイーター(075)のレベル調整こそ、
まさに塩加減ではないか、とおもう。

料理の塩加減は、一発勝負でやり直しはきかないが、
スピーカーのレベル調整は、必ずしも一発勝負ではない。

ただし、この領域になると、
いいところに決った、と思って、そこでやめることができればいいのだが、
欲深く、さらに……、とあと少しだけ動かしてみたら、だめということがままある。

それで元に戻したら……、とはなかなかならない。
巻線抵抗のアッテネーターは、けっこうヤクザな造りである。

もとに戻したはずなのに、そうはならないのが巻線抵抗である。
とはいえ根気よくやれば、最適ポイントを探しだせる。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その19)

塩加減で思い出すことが、もう一つある。
1980年代に、文春文庫から「B級グルメ」シリーズが出ていた。

そこに四川飯店の陳健民氏(だったと記憶している)が、
自宅でつくるラーメンが、とても美味しい、という記事が載っていた。

どんなスープを使っているのか、とよくきかれるそうだ。
でも使っているのは、醤油と塩だけ、とのこと。
その他の調味料は使っていない。
麺はインスタントラーメンの乾麺を使う、とのこと(記憶違いでなければそうだったはず)。

たったそれだけのラーメンなのに、美味しい。
このときは、自炊もほとんとしていなかったから、理解していたわけではなかった。

でも、自炊を重ねて、ワンポイントしかないといえる絶妙な塩加減のことを体験すると、
陳健民氏のつくるラーメンも、塩加減がほんとうに絶妙だからこその美味しさだったのでは……、
とおもうようになった。

陳健民氏は料理のプロフェッショナルだし、料理の天才なのかもしれないから、
いつでも絶妙な塩加減を再現できるのだろう。

中途半端な記憶なのだが、イタリアでは、
オリーブオイルは金持ちにかけさせろ、
塩は天才にかけさせろ、といわれているらしい。

オリーブオイルはケチケチせずに、
塩は絶妙の塩加減は、天才の領域なのだろう。

ほんとうに、イタリアでそんなことがいわれているのかもあやしいが、
納得できることだ。

この塩加減、
アンプの自作では、何に相当するのか。

Date: 5月 20th, 2019
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その5)

別項「LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その7)」で書いている知人。
彼も、自身をオーディオマニアという。

けれど、私から見れば、
知人はオーディオ機器を頻繁に買い替えるのが趣味の人である。

オーディオに関心も理解もない人からすれば、
知人も立派なオーディオマニアとして映っていることだろう。

むしろ、それだけ頻繁に買い替える、
つまりそれだけお金を、人よりも多くかけているわけだから、
そうとうなオーディオマニアということになろう。

いやいや、彼は買い替えるのが趣味の人だから……、と、
そんなことを私がいったところで、「それでもオーディオマニアでしょ」と返ってくるか、
もしかすると「それこそがオーディオマニアでしょ」といわれるかもしれない。

そんな彼でも、オーディオにそれだけのお金をかけているわけだから、
オーディオが好きなことに違いない、とは思う。

でも、その「好き」と、
私がおもっている「好き」とでは、オーディオに限っても大きく違っている。

「好き」に関しても、人それぞれと(その4)に書いたばかりだから、
知人の「好き」にも理解を示さなくてはならないだろうが、
やはり、どこかで知人の「好き」に関しても、
女性のオーディオマニアの「好き」に関しても、
疑ってしまうところが、私にはある。

つまり「好き」という感情が、こちらに伝わってこないからだ。
この伝え方も、人それぞれであり、
うまく伝えられる人、そうでない人もいるし、
初対面の人に対して、そうそううまく伝えられる人のほうが少ないであろう。

そんなことはわかっている。
けれど、(その1)で紹介した魯珈のカレー、
その2)のAさんの話からは、この「好き」という感情が、
ストレートにこちらに伝わってくる。

しかも、そのストレートぶりは、女性だからこそできることなのかもしれない、
そんなふうにもおもえるからこそ、この項を書いている。