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Date: 6月 30th, 2013
Cate: 岩崎千明, 楽しみ方

Electro-Voiceの1828Cというドライバー(その3)

エレクトロボイスの1828Cというコンプレッションドライバーを、
一般的なドライバーとして捉えずに、コーン型のスピーカーユニットとしてとらえれば、
このダイボール型のコンプレッションドライバーで、
岩崎先生が何をされようとされていたのか──、
もしかすると、という答が浮んでくる。

タンノイのオートグラフのような、フロントショートホーンとバックロードホーンを組み合わせた、
そういう構造のスピーカーにされることを考えられていたのではないか──、
そんな気がしてならない。

1828Cはコンプレッションドライバーだから、当然ホーンをつけて鳴らす。
前側だけでなく後側にもホーンを取り付けられる1828Cだから可能な構造といえば、
オートグラフのような複合ホーンである。

FC100と組み合わせた1828Cは250Hzから10kHzとなっている。
ワイドレンジではない、かなりのナロウレンジだが、
良質のラジオの延長としてのシステムを構築しようとするならば、
この帯域幅でも充分とはいえなくとも、不足はない、といえなくもない。

ホーン型だから能率は高い。
周波数特性からいっても、ハイパワーの最新のパワーアンプは必要としない。
真空管アンプ、それもシングルアンプあたりをもってきたい。
スピーカーの周波数特性からいって、トランスに広帯域のモノをもってくる必要もない。

真空管アンプ以外だったら、D級の小出力の小型アンプもおもしろいかもしれない。
D/Aコンバーター内蔵のヘッドフォンアンプでも、鳴るように思えてくる。

だとしたらiPodとヘッドフォンアンプ(iPodのデジタル出力を受けられるモノ)という、
ミニマムなシステムが可能になる。
しかもドライバーはエレクトロボイスのフェノール系のダイアフラムなのだから、
人の声のあたたかみは、格別ではなかろうか。

岩崎先生が実際のところ、何のために、この1828Cを購入されたのかはわからない。
誰にきいたところでわからないだろう。
それでもいい、
とにかくいま手もとに岩崎先生が所有されていたエレクトロボイスの1828Cとホーンがあり、
それを眺めては、こんな妄想を楽しんでいる。

こういうのもオーディオの楽しみのひとつなのに……、ともおもう。

Date: 6月 30th, 2013
Cate: 岩崎千明, 楽しみ方

Electro-Voiceの1828Cというドライバー(その2)

エレクトロボイスの1828Cは、実はいまも現行製品としてエレクトロボイスのサイトには載っている。
トランス付きの1828Tとなしの1828Cがある。
Hi-Fi用ではなく、”Commercial Sound Compression Drivers”という括りになっている。

828HFと組み合わせされていたA8419ホーンが、
トランペットスピーカーのような構造となっていることからもわかるように、
1828CとペアとなるホーンFC100の外観はトランペットスピーカーのホーンそのものの形をしている。

こういう用途のドライバーをなぜ岩崎先生は所有されていたのだろうか。
この、正解のわからぬことを考えてみている。

誰もが思いつくのはPatrician IVの代替ドライバーとして用意されていた、
ということだろうが、これはおそらく可能性としてはかなり低いと思う。

1828Cと同じダイボール型ドライバーと呼べるモノに、848HFがあった。
828HFに少し手を加えてダイアフラムの両側にホーンを取り付けられる仕様にしている。
1828は、用途は違うものの、848HFの後継機ともいえるのかもしれない。

1828Cと組み合わせるためなのか、ホーンもいただいてきたモノの中に入っていた。
トゥイーターのT35とほぼ同サイズのホーンで、スクリューマウント式になっている金属製。
ホーンの色も1828Cと同じである。

このホーンでは低い周波数までは使えない。
1828CはFC100ホーンとでは250Hz以上を受け持つことができる、
そういうドライバーであるから、
ただ単に、金属製のホーンとの組合せで使うことを考えられていたわけでもないはずだ。

Date: 6月 30th, 2013
Cate: 岩崎千明, 楽しみ方

Electro-Voiceの1828Cというドライバー(その1)

JBLの「Harkness」以外にも、いくつかのオーディオ機器をいただいてきた。
トーレンスのTD224も、それには含まれている。
キャビネットはスイングジャーナルの編集者であった藤井氏の製作によるもの。
オートチェンジャーゆえに横幅は70cmをこえる。
EMTの927Dstよりも横幅は広い。

その他にもトーンアームを数本。
エレクトロボイスのドライバー1828Cと専用と思われるホーンもあった。

このエレクトロボイスのペアは箱こそ古くなっているものの、
どうにも未使用のようだ。

1828という型番はきいても、どんなドライバーだっけ? と思われる方が大半だろう。
ただ型番の「828」に気づけば、もしかして、あのドライバーのヴァリエーションなのか、と思われるだろう。

828HFは、Patrician IVのミッドバスに採用されていたユニットで、
二回折返しホーンのA8419と組み合わせされていた。

828HFはJBLやアルテックのコンプレッションドライバーを見慣れた目には、
やや特殊な構造のドライバーとしてうつる、そういうドライバーである。

JBLやアルテックではドーム状のダイアフラムの凹面側にフェイズプラグがあり、
こちら側から音を放射する。

828HFはダイアフラムの凸面側にフェイズプラグがあるだけでなく、
音が放射されるのは、バックチェンバー側でもある凹面側であるわけだから、
フェイズプラグ側は開放状態となっている。

いわばダイボール型コンプレッションドライバーといえなくもない。
そういうドライバーが、今日いただいてきたモノの中にあった。

Date: 6月 20th, 2013
Cate: バッハ, マタイ受難曲, 五味康祐

ヨッフムのマタイ受難曲(タワーレコードに望むこと)

今回のヨッフムのマタイ受難曲もそうだが、
タワーレコードはオリジナル企画として、独自にCD復刻を行っている。
こういう企画はありがたい。

私がタワーレコードの、この企画に望むのは、
五味康祐・愛聴盤シリーズである。

ヨッフムのマタイ受難曲は今回復刻された。
次は、ミヨーの「子と母のためのカンタータ」を復刻してほしい。
ミヨー夫人が朗読をつとめたものだ。
いまナクソスのサイトでMP3では聴けるようになっているものの、
やはりCD、もしくは16ビット・44.1kHzのダウンロードで聴きたい気持がつよい。

それからアンドレ・メサジェの「二羽の鳩」。
これのLPは「子と母のためのカンタータ」とほぼ同時期に手に入れたもの、
ある事情で手もとにはない。
しかも演奏者が誰だったのかを、はっきりとおぼえていない。

まだある。ヴィヴァルディのヴィオラ・ダモーレ。
五味先生の著書を読んでも演奏者が誰なのかはっきりしないが、
どうもアッカルドによるものらしい。

まだまだあるけれど、この三枚、
無理ならばミヨーだけでも復刻してもらいたい。

Date: 6月 10th, 2013
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続・ジャズの再生の決め手)

一瞬の結晶化こそが、ジャズの再生の決め手だ、と、昨年の12月に書いた。

一瞬一瞬の結晶化、ひとつひとつ音の結晶化、
そうやって結晶化されたもの同士がぶつかり合い燃焼することで、多彩な色を発する。
そういうジャズの再生を目指されていたのだろうか、とおもうことがある。

そして結晶は燃焼し消え去るわけだが、
ただきれいに消え去るだけでは、いわば対岸の火事である。

燃焼し消え去る時に火の粉が生れる。
この火の粉が、聴き手のくすぶった心に飛び火する。

聴き手の心に火をつける。
それまでくすぶっていたものを燃やすことになる。

ジャズを聴くということはそういうことであり、
ジャズを再生するとは、そういうことではないのか。

クラシックばかり聴いてきた私は、憧れをもって、そうおもっている。

Date: 6月 6th, 2013
Cate: audio wednesday, 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(audio sharing例会・その1)

昨年の5月のaudio sharing例会のテーマは「岩崎千明を語る」だった。
このとき、一年後にゲストに来ていただいて、なにかやりたい、と考えていた。

それから約一年、春ごろ、昨年とまったく同じテーマでは能がないから、
今年は「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」というテーマにして、ゲストに来ていただこう。

誰に来ていただくか。
ステレオサウンドにいたころから、
そしてステレオサウンドをやめたあとも西川さん(サンスイ)との縁があった。
西川さんからは瀬川先生の話し、岩崎先生の話、それ以外にもいろいろとうかがっている。
西川さんに来ていただこう。
これは「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」をテーマに決めたと同時に決った。

西川さんに来ていただくとして、あとふたり、鼎談で語っていただこう、
とすると、誰がいいだろうか。

ステレオサウンドをはなれてもう20年以上経つし、
瀬川先生、岩崎先生と仕事をされていた方となると、実は面識がない。

西川さんから、以前「瀬川さんと岩崎さんのことなら、パイオニアの片桐さんがくわしいよ」と聞いていた。
私がfacebookで公開している岩崎先生のページ「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」に、
片桐さんが「いいね!」をしてくださっていることは、管理人であるからわかっていた。
それからビクターに勤務されていた西松さんも「いいね!」をしてくださっていた。

それでfacebookの機能を使い、片桐さんと西松さんに依頼のメッセージを出した。
まったく面識のない私からの依頼にも関わらず、快諾してくださった。

Date: 5月 16th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(はっきり書いておこう)

岩崎千明という「点」があった。
瀬川冬樹という「点」があった。

人を点として捉えれば、点の大きさ、重さは違ってくる。

岩崎千明という「点」が書き残してきたものも、やはり「点」である。
瀬川冬樹という「点」が書き残してきたものも、同じく「点」である。

他の人たちが書いてきたものも点であり、これまでにオーディオの世界には無数といえる点がある。

点はどれだけ無数にあろうともそのままでは点でしかない。
点と点がつながって線になる。

このときの点と点は、なにも自分が書いてきた、残してきた点でなくともよい。
誰かが残してきた点と自分の点とをつなげてもいい。

点を線にしていくことは、書き手だけに求められるのではない。
編集者にも強く求められることであり、むしろ編集者のほうに強く求められることでもある。

点を線にしていく作業、
その先には線を面へとしていく作業がある。
さらにその先には、面と面とを組み合わせていく。

面と面とをどう組み合わせていくのか。
ただ平面に並べていくだけなのか、それとも立体へと構築していくのか。

なにか、ある事柄(オーディオ、音楽)について継続して書いていくとは、
こういうことだと私はおもっている。
編集という仕事はこういうことだと私はおもっている。

Date: 5月 16th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その4)

私が勝手におもっているだけのことなのだが、
実のところ、ステレオサウンドもそれほど売れるとは思っていないのではなかろうか。

定期刊行物でもないしムックでもないから広告は入ってこない。
そういう書籍を、いまあえて出すのはなぜなのか、と考えてしまう。

本は読者に向けてのものであるわけだが、
「オーディオ彷徨」の復刊と、いまになっての瀬川先生の著作集の刊行は、
読者に向けてのものとして当然あるわけだが、それだけとは私には思えない。

それは深読みしすぎだといわれるだろうが、
「オーディオ彷徨」の復刊と、いまになっての瀬川先生の著作集の刊行は、
いまステレオサウンドに執筆している人たちに向けてのものなのではなかろうか。

そして、さらにもっとも深読みすれば、ステレオサウンド編集の人たちに向けてのもののようにもおもえてくる。

なぜ、私がそうおもっているのかは、勝手に想像していただきたい。

Date: 5月 16th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その3)

「オーディオ彷徨」、それに瀬川先生の著作集がどれだけ売れるのか。
売れてほしい、とはおもう。
特に岩崎千明の名も瀬川冬樹の名もまったく知らない世代に読んでもらいたい、と思う。

だから売れてほしい。

けれどそう多くは売れない、とも思ってしまう。
それはしかたないことかもしれない。
おふたりが亡くなられて30年以上が経っている。
私がaudio sharingをつくったときですから、
「いまさら岩崎千明、瀬川冬樹……」といわれた。

私より年齢が上の人数人から、そういわれたものだ。
そのときから13年が経っている。

この13年間のオーディオ界の変化をどう捉えているのかは、人それぞれだろう。

ステレオサウンドがどれだけの売行きを見込んでいるのかは、私にはわからない。
実際の売行きがどうなるのかも、正直わからない。
ステレオサウンドの売行きの見込みよりもずっと売れるかもしれないし、そうではないのかもしれない。

どちらになるしても、「オーディオ彷徨」と瀬川先生の著作集は、
とにかくずっと売っていてほしい。
5年後も、10年後も、20年後もステレオサウンドに注文すれば入手できる。
そうあってほしい。

Date: 5月 14th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代(その1)

いまは──、そして当り前すぎることを書くことになるが、
これからさきもずっと「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」が続いていく。
もうすでに30年以上「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」が続いてきているのに。

「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」に終りは訪れない。
どれだけ待っていても終りは来ない。

ならば……、とおもう。
オーディオの世界を「豊か」にしていくことを。

Date: 5月 13th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(現在よりも……)

表面的な意味ではなく、
それに単に製品の数の多さや価格のレンジの広さとか、そういったことでもなくて、
まったく違う意味での「豊かさ」が、
「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」のオーディオの世界にはあったように思えてならない。

Date: 5月 8th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その2)

瀬川先生の著作集が出ないことがはっきりした。

よく遺稿集という言い方をする。私もこれまで何度も使ってきた。
けれど遺稿とは、未発表のまま、その筆者が亡くなったあとに残された原稿であって、
すでに発表された文章を一冊の本をまとめたものは遺稿集とは呼ばない──、
ということを、私もつい先日知ったばかりである。

私の手もとには瀬川先生の未発表の原稿(ただし未完成)がひとつだけある。
いずれ電子書籍の形で公開する予定だけれど、それでも一本だけだから、遺稿集とはならない。
あくまでも著作集ということになる。

ステレオサウンドの決まり、
そんなことがあるものか、と思われる方も少なくないと思う。
けれどふりかえってみていただきたい。
瀬川先生の著作集は出なかった。
黒田先生の著作集も出なかった。
黒田先生の本は、すでに「聴こえるものの彼方へ」が出ていたから。

岡先生の本も出ていない。
岡先生の本は、すでに「レコードと音楽とオーディオと」というムックが出ていたから。

山中先生の本も出ていない。
山中先生の本は、すでに「ブリティッシュ・サウンド」というムックが出ていたから。
「ブリティッシュ・サウンド」は山中先生ひとりだけではないものの、
メインは山中先生ということになる。

長島先生の本も出ていない。
長島先生の本は、すでに「HIGH-TECHNIC SERIES2 図説・MC型カートリッジの研究」が出ていたから。

I先輩の言われた「決まり」、
そういうものがあることをあとになって「やっぱりそうなのか」と、
ステレオサウンドをやめたあと、岡先生、長島先生、山中先生が亡くなり、そう思っていた。

だからこそ瀬川先生が亡くなられて32年目の今年、著作集がステレオサウンドから出る、ということは、
嬉しいとともに、意外でもあった。

正直、遅すぎる、とは思う。
そう思うとともに、なぜ、いまになって、とも考えている。

Date: 5月 8th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その1)

5月31日に岩崎先生の「オーディオ彷徨」が復刊され、
瀬川先生の著作集が出るのだから、このことは書いてもいいと判断したことがある。

私がステレオサウンドで働くようになったのは、1982年1月。
瀬川先生が亡くなって二ヵ月後のこと。
ステレオサウンド試聴室隣の倉庫には、
瀬川先生が愛用されていたKEF・LS5/1A、スチューダーA68、マークレビンソンLNP2があった。

そういうときに私はステレオサウンドで働きはじめた。

入ってしばらくして訊ねたことは「瀬川先生の遺稿集はいつ出るんですか」だった。
編集部のI先輩にきいた。
どうみても、その編集作業にとりかかっている様子はどこにもなかったし、
そんな話も出てきていなかったから、不思議に思いきいたのだった。

I先輩の返事は、当時の私にはたいへんショックなものだった。
「出ないんだよ。ステレオサウンドのルールとして筆者一人一冊と決っているから。
瀬川先生はすでに『コンポーネントステレオのすすめ』がもう出ているから……」

確かに「コンポーネントステレオのすすめ」は出ている。
しかも改訂版も出て、「続・コンポーネントステレオのすすめ」も出ている。
だからといって、なぜ出さないのか。
そんなことを誰が決めたの? そんな決まり(これが決まりと呼べるのだろうか)は破ればいいじゃないか、
ステレオサウンドにとって瀬川冬樹とは、そんな存在だった?──、
とにかくそんなことが次々と頭に浮んだものの、何も言わなかった(言えなかった)。

Date: 5月 4th, 2013
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その1)

スイングジャーナル 1978年5月号に「岩崎千明を偲ぶ会開かれる」という記事が載っている。
一関ベイシーの菅原昭二氏が、岩崎先生との想い出について書かれている。

そこにこうある。
     *
背筋を伸ばしたままの状態でそっと腰をおろすとパラゴンがうなった。圧倒的な音量。私だって音量では人後におちない部類に入ると思うのだが、岩崎さんのそれはまたひとつ、ケタが違うのだ。見るとSG520のボリュームつまみはこれ以上、上に昇れないところに行っている。プリ・アンプのボリュームをオープンにしちゃうとどうもスカッとふんぎりがつくようなのだ。これができるかできないかで、岩崎さんになれるかなれないかが別れるのだ。
     *
岩崎先生のパラゴンはLE15Aが入っているものだから、カタログに載っている出力音圧レベルは95dB。
菅原氏が聴かれたのは引越しの途中であって、新居にはすでにハーツフィールドやパトリシアンがおさまっていて、
ステレオサウンド 38号にも載っているパラゴンが置かれている、いわば旧宅での音である。

菅原氏の文章ではパワーアンプがなにかははっきりしないけれど、
ステレオサウンド 38号ではクワドエイトLM6200RとパイオニアExclusive M4だったが、
これらのアンプはすでに新居に運ばれていたのだろう。
だからコントロールアンプはSG520だったと思う。

ということはパワーアンプもM4ではなく、JBLのSE400なのかもしれない。
出力はM4もSE400もほぼ同じ。だから、どのパワーアンプなのかはっきりしなくても、
そんなことは些細なことでしかない。

岩崎先生の旧宅のリスニングルームは、写真でみるかぎり、ものすごく広い空間ではない。
そこでSG520のボリュウムが全開ということは、正直想像つかない。

菅原氏が「またひとつ、ケタが違うのだ」と書かれている。
そうとうに大きなことだけははっきりしている。

でも、それがほんとうのところ、どれだけのレベルなのかは、いまの私にはまだ想像つかない。
しかも音圧計で、ピークで何dB出ていました、といったことで表せる領域でもない。
ただ音がでかいだけではないのだから。

それでも、その領域に少しでも近づきたい、という気持が芽生えている。

Date: 4月 16th, 2013
Cate: 岩崎千明

嬉しい知らせ(「オーディオ彷徨」復刊)

一ヵ月ほど前に、詳細については省かざるをえなかったけれど、
今日やっと情報解禁になったので、ここでもきちんと書ける。

岩崎先生の遺稿集「オーディオ彷徨」が、5月31日にステレオサウンドから二度目の復刊である。
ステレオサウンドのfacabookページにて告知されている。

岩崎綾さん(岩崎先生の娘さん)が先月中旬にフライングでfacebook、twitterに書かれていたから、
目にされていた方も少なからずおられただろう。
でも、ステレオサウンドの正式な告知まで黙っていてほしい、ということだったので、
これまで書きたくても我慢していた。
今日やっと、曖昧にすることなく書ける。

audio sharingで「オーディオ彷徨」を公開してから13年。
やっと復刊された、という気持が強い。

「オーディオ彷徨」はaudio sharingでの公開のほかに、
ePUBにまとめたものをダウンロードできるようにしている。
ePUB(原子書籍)に関しては5月30日には削除する。

ステレオサウンドからオーディオ彷徨」が復刊されるわけだし、
一人でも多くのひとに「オーディオ彷徨」を購入してほしい、とおもうからだ。

とはいえ、またいつの日か「オーディオ彷徨」は絶版になる。
それに岩崎先生が書かれたものは、「オーディオ彷徨」に収められているものばかりではない。

昨年は岩崎先生の文章の入力を、けっこう量こなしてきた。
記事だけではなく、広告に書かれた文章もいくつかある。
私のMacのハードディスクには、かなりの文量のテキストがはいっている。
先日も多摩図書館に行き、いくつかの文章をコピーしてきた。

もちろん、これらの文章は「オーディオ彷徨」の増強版(タイトルはすでに考えている)として、
ひとつにまとめて電子書籍としてダウンロードできるようにする。
ただし、これまでは一般的なePUB形式にしていたが、
この増強版に関してはiBooks Authorでつくるため、iPadをプラットホームとした電子書籍にする予定である。